「愛・平和・自由」!
11人ほどのシングアウトだったが、わりと盛り上がり、この集いの成功を物語っていた。1975年10月から始まった「バトコイア神戸」、紛争があって一時中止したが、再開、7年前、音頭取りの小林隆二郎が死んで […]
実父のケロイド
毎年夏になると、実父の顔には醜いケロイドが現れた。78年前の明日、広島で被爆した後遺症そのものである。家族は、それを見ないように暮らしていたが、わたしには、実父の存在に正対しないですむ口実であり、しか […]
”水曜日生まれ”
村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んでいたら、「水曜日生まれ」は「苦しいことばかり」というマザーグースの歌の文句が素材に使われていた。主人公の「私」は水曜日生まれで、不条理の世の中で、「魂の疫病」の […]
詩:麦の花
麦の花 (今時分、北海道の北見地方は麦の収穫期だそうだ。その写真を見て) 今まで見たことがなかった麦の花 昔、比叡の山の少年が泣いたのは 故郷の麦つくりへの憂慮だけからか やはりこの一面の、小さな […]
涙ぐむ母親
学校の「国語」は、”大変良い”で問題ないのだが、塾の長文読解の記述が苦手で成績が上がらない、という小5の男の子が母親とやってきた。それで、その長文問題なるものを、一緒にやり直してみたのだ。女流作家のエ […]
愛の結界
京都東山、白川を渡って、ロームシアターの「イダキシン・コンサート」へ向かう。 小さな川ではあるが、水量が多く、わりと澄んでいて、なにかの「結界」のようにも感じる。 「愛の本流」「愛の充足」が今夜のテー […]
詩:梅雨明け
梅雨明け 秋田の大雨、氾濫が気がかりだが 近畿地方の梅雨は明けたようだ 強い日差しと蒸し暑さの中で、街は輝きを取り戻した 山と川からの風が、新鮮な思いを運んできてくれる […]
「君子は憂えず」
「先生はどうして禿げたのですか。」「養毛剤は使わなかったのですか。」 高校生が真面目な顔をして、そう聞いてくるので、かえって落ち込んでしまった。遺伝とか、年齢とか、自分ではいかんともしがたい“外因”の […]
「記号接地」問題
AIは、言葉と感覚とがつながっていない言語を話す。 アメリカの認知科学者のスティーブン・ハルナッドは、記号の意味を記号のみによって記述しつくすことは不可能と指摘し、基本的な一群の言葉はどこかで感覚と接 […]
雨の七夕
一滴の雨でも、牽牛星は織姫に会えないのだ、と子どものころ聞かされて以来、「七夕伝説」が嫌いになった。そんな無茶な、無理難題。しかも、旧暦7月7日のだから、新暦の今日に無理に当てはまることにも嫌気がさし […]
山中に忘失したボールペンを見つけ出す!
昨日、山歩きしていて落としたボールペンのことが気になって仕方なく、ボールペンにも呼ばれているような気がして、学校(期末考査中で午前中まで)から帰って、午後3時から再び山へ。芦屋の奥池のゴロゴロ岳(56 […]
「動詞の活用」を教える
何も文法を知らなくても、日常生活に支障はない。学校教育の必要は分かるとしても、こればかりは、全く下らぬ勉強になるのではないか。「動詞の活用」なんて、分かって、何の役に立つというのか。中学の時の”悪夢” […]
「身捨つるほどの祖国ありや」
今住んでいるマンションの掃除日。19所帯のうち、8人しか参加しなかったが、廊下や階段の洗浄や掃除に汗を流した。そして、管理組合の会議もあり、地域自治会の要望について話し合った。なにか地域社会で共生して […]
「教え方がメチャ上手」
昼休み、学校の自動販売機でアイスを買っていたら、やってきた生徒たちに声を掛けられた。 「先生、いつからおるん?」わたしの知らない生徒たちだ。 「今年からだよ。」 「ふうん、何を教えているの?」 「国語 […]
「上智と下愚は移らず」
京都への車中、沢木耕太郎著『作家との遭遇』を読んでいて、山本周五郎に出会い、この論語の言葉を知って、ふっと心が軽くなる。精神的にも経済的にも追い詰められ、不遇と孤独に悩まされていた若き日の周五郎の日記 […]
”イダキ語”
「ピアノが語り掛ける」というような音楽評論を聞いたことがあるが、16日の京都、東山のイダキシン・コンサートは、まさにそれを体験した。 即興で演奏されるピアノの音は、まさに優しく体内に染み込み、わたしの […]
言葉と意識
言葉と意識 オグデンとリチャーズの「意味の三角形」が、「言葉の本質的機能を説明する際の重要かつ根本的な誤りがある。」と教科書の指導書にあったので、ショックを受ける。まるで天動説から地動説 […]
詩:「金剛山山頂」スポット
「金剛山山頂」スポット 「金剛山頂ライブカメラ」スポットというのがあって そこへ是非行ってみたい、と高二のFくんが言うので 午後の自由時間に、もう一人Iくんも誘って案内する キャンプ場か […]
熱意
昨日、Sk高校で、高一生に「古典文法」の第一歩、「動詞の活用」を教える。5クラスに。ただでさえ、勉強したくない連中に、「何の役にも立たない文法」を説く大変さ。活用表のプリントを配布しても、何を書いてい […]
「憂い」よ、去れ!
憂い:わたしの声は、たとえ耳は受け付けなくとも、胸にはしっかり答えましょう。 わたしはさまざまに姿を変えて、恐ろしい力をふるいます。陸の旅でも、船路でも、 いつも不安を吹き込む道連れです。 ファウスト […]
圧倒的な美の体験!
びわ湖ホールの「高句麗伝説」に行けて良かった。「なんとか行けた!」というのが正直なところだが、その「圧倒的な美」のシーンがすべての憂さを忘れさせ、心も頭も体までも綺麗にしてくれた。日常生活の汚れ、抜け […]
感情過多
会話は、「感情のバターを載せたトースト」のように、とある人がむかし言い、わたしもそれを心がけている。無味乾燥な用件や情報の交換だけでなく、少し思いやりや気持ちを込めて、情感のある話し合いがいいと思うか […]
「思考停止」は避けたい
もう20年前に発表された、劉慈欣の空想科学小説『詩雲』のテーマが面白い。「神と呼ばれる種族が、超テクノロジーを使って詩を書くのですが、結局、李白が残した詩にはおよばない。」と作者自身が語っている(文庫 […]
憲法改定を!
未だに釈然としないのが、スーダンへの自衛隊派遣だ。戦争が激化した街からの邦人救済のため、速やかな行動をとり、ともあれ無事帰国を成し遂げたことには賛意を表すばかりだが、なぜ民間の力でなく、自衛隊が派遣さ […]