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教室だより


私学の教頭だった人に聞いたのだが、文科省の役人たちはよく働いていて、資料やデータの収集に躍起になっていて、たとえば、「登校拒否」の実態の調査などで、生徒の状態を把握しようとして、「以下の項目の中から一つ選べ」式のアンケートがたくさん送られてくるそうだ。しかし、50日間欠席したら「登校拒否」というような定義に当てはめられない「登校拒否」生徒も多く、うまく実態を伝えられないとのこと。文科省の指導と現場の状況とが合わないことばかりだそうだ。それなら、文科省の指導なんて無視してやればいいようなものだが、そうすると助成金が下りなくなってしまい、齟齬のままやっていくしかないそうだ。教育現場の荒廃を、だれもどうにもできないまま、月日ばかりが流れていく。教育に携わるものとして、責任を感じるのだが、どうしようもない。

 

「(日本は)滅びるね。」と三四郎に先生は言うが、こんなことしていては、有為の生徒たちをだめにするばかり。「インプット」型から「アウトプット」型に切り替え、ものを考え、ものを言う若者を育てなければ、と思うのだが、生徒は勉強なんかしたくないし、自分で考えることは避けたがってばかり。秋祭りで地車を引き、文化祭でバザーを開き、盛り上がることばかりに夢中になって、こっちの話を聞こうともしないで、内職したり、スマフォを盗み見たり……。「厳しく、スパルタ式に」やれないわたしは、無力感に襲われながらも、孤軍奮闘。

 

それが今日は違ったのだ。昨日とは違って、いや表面的にはあまり変わらないのだけれど、生徒たちの反応が温かいのだ。とにかく古文を音読し、言葉の来歴に注目し、言語文化の豊かさに目覚めてほしいと、大きな声で講義し、机間を巡視し、声を掛けて歩く――スタイルに、共感してくれたのかどうか。斉唱し、ノートを書き、質問に応じたりして、表情が明るく、笑顔が美しい。動詞の活用などは、分かる気もないのかもしれないが、ちょっとはまじめにやろうと思うのだろうか。年寄りの熱意に根負けしたのだろうか。「優しさ」みたいなものが教室に匂い立つ。これならまあいいか、教育現場が荒廃しつくしていない実態を確認できたようで、ひとり喜んでいる。(9/20)

 

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