8月, 2020

狛江のコンサート、応用コースの配信ありがとうございはます。言葉にすればたったこれだけですが、言葉で表せない見えない大きな気づきがありました。一人の自宅の環境は普段の日常でどうしないといけないとか誰も見てないのです。コンサートの時までは椅子の背もたれにももたれず姿勢を正して参加していました。様々な思いがよぎります。ある時鱗雲のような雲が見えて意識が上昇していく感覚がありました。皆様の書き込みにあるような体感はあまり意識に上ってこないのですが、コンサートの経験がとてつもないものであるという生命の感覚だけはあり、万難排して身を運ぶ方策を考えます。

コンサートが終わって1時間のちに始まった応用コースでは、後半約1時間立つと、どんな工夫をしてもどうしても椅子に座っていることができなくなり、あろうことか床に寝てしまったのです。そこから意識はありません。気づいた時には応用コースが終わっていました。

それからは迎賓館のオンデマンドを聞き続けました。スマホをベッドに持ち込んでも聞き続けました。亡くなった両親、特に母親の事が思い出されます。二人とも受講して先生とつながっていることが救いと思っていましたが、生きているときには先生とつながっていても決して美しい顔生きていなかったことが自分の中の心残りです。先生が迎賓館で表現されたことは、私の中に澱のようにあったものがコンサートで解決に向かっている。

私はじっとしていることが苦手で、たとえ闇雲でも家にいることができなかったのに、左手を骨折したことで自分を見直さないと先がない状態があります。今までは運が良くてなんとか生き延びれましたが今は完全に生き方を変えなければ先がない状況です。父の生前の生き方を勝手に解釈していたことがあります。先生が迎賓館で演奏を中断しておっしゃった言葉は知らない霊魂の話ではなく、父の言葉ではなかったかと。8月の終わりに大きな気づきをありがとうございます。オンデマンドで何度も聞きながら私の誕生月である9月に向かいます。

紫の実が今朝はなくなって、鳥がたべたことに思い当たりました。たとえ一点であっても出会った命を生かします。

ありがとうございます。

 

KEIKO KOMA Webサロン

一点の宇宙


狛江のコンサート、応用コースの配信ありがとうございはます。言葉にすればたったこれだけですが、言葉で表せない見えない大きな気づきがありました。一人の自宅の環境は普段の日常でどうしないといけないとか誰も見 […]