続き
コンサートでは、いつも色々なことを考えます。目の前にある課題や周りのこと、世界平和実現に向け、何をすれば良いか等々、よく考えると突然答えが見え、次元が変わり、コンサート前とおわった後では考えることも問 […]
生命の内にある本質を表す人間の人生
コンサートホールに着き、すぐにコンサートメッセージを読ませていただき、武者震いが起こりました。望んでやまないメッセージです。「一者から伝えること」この一言だけでも魂震え、今日のコンサートはやはりただ事 […]
海外からのお便り
今日もキッチンラボへ行くことから一日の活動が始まりました。街路樹の枯葉や落ち葉が毎日変わっていく様をスタッフと会話となる程に、毎日路面に落ち葉がたくさん落ちる季節となっています。食のことを考え、関わっ […]
あっという間の講演会
今日もキッチンラボに行くことから一日が始まりました。ある何かに向かい活動する日々です。次第により良い方向に全てが向かっていることがとても嬉しく希望を感じます。真の自分を表わすことなくして生きていけない […]
神聖なる空間
昨夜、新作マーブリングカーペットを持ち帰り、どこに敷くかを考えました。私はペルシャ絨毯が好きでイランへ行く度に絨毯を買い、レバノンでも買い。。。と家中絨毯を敷き詰めていますので、置場がありません。かろ […]
希望あるもの、希望ある動きを作り
一夜明けた朝も、頭のてっぺんに生きていることが疲れた思いがあり、なんとかしようと考え、身支度をしている時、一枚のカードのようなものが落ちていたので拾いました。表側を見ると、先生の奥様と抱っこされた赤ち […]
次へと
東京に帰る日の朝、窓のカーテンを開けると、外は霧に包まれていました。いつも仲間が工房のお掃除に来てくれるので、コーヒーを淹れ、準備します。帰る日は、仲間が工房に集い、皆でいそいそとお掃除をしていると国 […]
奇跡の時を告げる空
この上ない贅沢な迎賓館でのコンサートの尊い機会に深く感謝します。建物ごと鳴り響くピアノの音は何をお伝えくださっているのかと目を閉じます。生命のことをわからない頭の悪さは今後は生きていけない事を考える時 […]
おおいなる愛
「死について」が開催される日の朝は亡き母が悲しげな表情で現れ、亡き兄の葬儀に関することで経験しました屈辱的な苦しみが再び思い出され、何故かを考える朝でした。体も痛み続け、同様に何故かと考え続け、マーブ […]
比叡山にて
穏やかな晩秋。比叡山の山に臨むお茶室の中庭にてマーブリングを出来るひと時は、真に幸せなひと時であります。今月も無事に出来ます事に感謝します。今月も素晴らしい模様が写し出されました。写真を撮ると画面から […]
おおいなる道のり
今日も京都事務所にて「存在論」と応用コースを経験させていただき、ビデオ講演会にて11月1日の高句麗伝説から3日京都コンサート、そして本日の2つの講座までの経験をお話させていただきながら、おおいなる存在 […]
愛の極意
京都コンサートの日の朝、カーテンを開けると、明るい日差しが差し込み、日の光が注がれ輝く木々が「生きている」と感じ、とても感動しました。高句麗伝説コーヒー第4弾を淹れると高句麗軍団は休息を終え、今日から […]
礼を尽くし
高句麗伝説を無事に開催でき、言葉に尽くせぬ安堵、解放感があります。京都に向かう時、先生から無事に終わって、何かがすっきりしただろう、とおしゃっていただき、思わずすっきりどころではないのです、と答えてい […]
新しい人生
準備万端で臨もうと懸命に備えていましたが、ブルームーンの写真をアップする前に、満月のような白い光を飲み込んだようになり、胸が苦しく咳が出始めました。先生にすぐにご連絡をさせていただき、次第に肝臓の方へ […]
大いなる働き
明日の準備が終わり、空を仰ぐと、ブルームーンが、一番美しいと聞いた11時45分でした。大いなる存在に祈るように、「みんな元気で生きていけますように。。」と託しました。生きていけない余計なものは振り払う […]
高句麗伝説前夜
「高句麗伝説」を前にし、今日は家もきれいにと願い、お願いした仲間がお掃除に来てくれました。インターホンが鳴り、ドアを開けるとマーブリングの割烹着と三角巾を着けた出で立ちに、働く気概とエネ […]
全ては高句麗伝説へと
昨日は、東京の工房にて風もないのに障子がばたばた揺れる音が聞こえ、居合わせたスタッフと驚いていました。いつもは人には聞こえない音が聞こえ、人には見えないものが見えますが、昨日は誰もが聞こえる音でした。 […]
満ちる月と共に
月が日に日に満ちていきます。11月1日は完全に満ちるのでしょうか、と夜空に浮かぶ月を仰ぎます。大いなる存在あらわる空間では、光に闇が映し出されるように、人の中にも外にもまとわりつく影が見えます。私は毎 […]
高句麗伝説へ向かい
昨日の府中でのコンサートの経験は、瞬間という時もなく、永遠という時もない「今」とより表現できない経験でした。最も求めていた「生」とわかりながら、何と表現してよいかを未だに考え続けています。今朝もしんど […]
