KEIKO KOMA Webサロン

全ては高句麗伝説へと


昨日は、東京の工房にて風もないのに障子がばたばた揺れる音が聞こえ、居合わせたスタッフと驚いていました。いつもは人には聞こえない音が聞こえ、人には見えないものが見えますが、昨日は誰もが聞こえる音でした。そして深夜家に着き、車のエンジンを切り外に出ようとした時、後部座席のドアが3度開いたり閉まったりを繰り返し、私は誰かが入ってきたのかと飛び上がる程驚きました。たくさんの魂、霊魂が「高句麗伝説」に向かっているのだと感じ、只事ではない気配です。そして起こる現象は、人の生きている状態の半端さや嘘つきである事を正す事ばかりです。先生は「気持ちがあったら結果に現れている。結果に現れていないのは嘘つきだから」ときっぱりとおっしゃいました。私も長年のもやが晴れました。ボランティアミーティングにおいても毎回話している事です。気持ちがあれば結果を出す様に動き、やり遂げていく事、気持ちがあって結果が出ないのはおかしな事とどれだけ話してきたか知れません。それでも現実は気持ちがあっても結果が出ない事が続き、次第にそのおかしさに慣れてしまっていました。色々な事があり、自分の内から生まれた気づきは、疑わしき人がそばにいると、自分も疑わしく見られるという事でした。自分の内も整理し、周りにいる人も整理していかねば、いだきが広まらない事を深く考える毎日です。今日も、あるスタッフが「高句麗伝説」コーヒーを淹れてくれました。あまりに不味くて飲めませんでした。「高句麗伝説」コーヒーは極上のコーヒーであるのに、不味いわけがないのです。コーヒーミルのせいにしていましたが、私が普段使っているコーヒーミルと同じだったので私が淹れました。神々しく極上の「高句麗伝説」コーヒーでした。生き方を正す深刻な話し合いをしていましたが、皆笑顔で和み始め、とても深刻な話をしている場面には見えない程明るく、楽しいエネルギーが満ちていました。本当に美味しいものは人も場も変わる事を今日も体験しました。美味しいコーヒーを不味く淹れる事は本当の事が伝わらないと目の当たりにし、気持ちがあっても美味しく淹れられなければ意味がないとよくわかる経験でした。エチオピアコーヒーを輸入する時、「良いものを良いままに、美味しいものを美味しいままに」と依頼された事も同時に思い出し、良いものはそのまま伝えなければいけないとしみじみ感じます。「高句麗伝説」に向かい全てが炙り出され、半端さは許されない事を教えられます。当然の事であるのです。空間がより澄んできた今、真より生きていけない状況である事が生きていく希望です。魂総動員「高句麗伝説」コンサートへ向かい、きれいな生命で臨みたい気持ちで一杯です。ありがとうございます。

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