狛江のコンサートのオンデマンドのピアノの音の伴奏のように、雷鳴と稲光、そして雨粒の音。今朝は蝉の声の代わりに虫のすだく声が聞こえています。季節がすっかり変わりました。空間から聞こえてくる言葉もかわりました。今日で8月は最後です。

今は時間も行動もすべて自分の範疇です。何時に起きなければいけないという縛りもありません。それでもライブ配信時間は決まっています。ごみを出したりするようなちょっとした時間も決まっています。時間、自由とは何かと考えます。自分で自分を世界内にあてはめて阻害しています。まったく時間に縛られないということは怖くてできないのです。疎外ということから抜け出していません。

待つということができないと亡くなった母が言っていました。一緒に車に乗っいる信号待ちの時にそう言ったのです。いつ来るかわからない娘をまっていること私だったら耐えられないでしょう。飼っていた犬でさえ私が帰って来るのをひたすら待っていました。昨日はそんなことを思いながら。突然府中のコンサートメッセージが浮かんできました。人生に悔いを残さない。不可能を可能に向かうとき・・・・という2部のメッセージ。私は過去のことでなく、未来に向かっていくしかないのです。

目標を数字にして書くだけで達成できるということ。以前10枚の紙にいつまでにというしたいことを書くということを先生がおっしゃって書いた紙があったのですが、見直してみると不思議なくらい実現しています。数字で目標を表すことは、恥ずかしながら最も苦手と思ってきたことでした。いだきのことは計算したらできないと嘯いていました。昔から収入と支出があってもどんぶり勘定で数字が一番苦手で怖いとさえかんじていました。細かい小銭を数えるような計算はしてきたのですが。書くだけでできるということで早速書き出してみたらわからないことがいっぱい出てきました。書くだけで漠然としていた不安も少しすっきりしました。ライブでは応用コースを全部きくことができなかったのでオンデマンドを楽しみにしています。ありがとうございます。

狛江のコンサート、応用コースの配信ありがとうございはます。言葉にすればたったこれだけですが、言葉で表せない見えない大きな気づきがありました。一人の自宅の環境は普段の日常でどうしないといけないとか誰も見てないのです。コンサートの時までは椅子の背もたれにももたれず姿勢を正して参加していました。様々な思いがよぎります。ある時鱗雲のような雲が見えて意識が上昇していく感覚がありました。皆様の書き込みにあるような体感はあまり意識に上ってこないのですが、コンサートの経験がとてつもないものであるという生命の感覚だけはあり、万難排して身を運ぶ方策を考えます。

コンサートが終わって1時間のちに始まった応用コースでは、後半約1時間立つと、どんな工夫をしてもどうしても椅子に座っていることができなくなり、あろうことか床に寝てしまったのです。そこから意識はありません。気づいた時には応用コースが終わっていました。

それからは迎賓館のオンデマンドを聞き続けました。スマホをベッドに持ち込んでも聞き続けました。亡くなった両親、特に母親の事が思い出されます。二人とも受講して先生とつながっていることが救いと思っていましたが、生きているときには先生とつながっていても決して美しい顔生きていなかったことが自分の中の心残りです。先生が迎賓館で表現されたことは、私の中に澱のようにあったものがコンサートで解決に向かっている。

私はじっとしていることが苦手で、たとえ闇雲でも家にいることができなかったのに、左手を骨折したことで自分を見直さないと先がない状態があります。今までは運が良くてなんとか生き延びれましたが今は完全に生き方を変えなければ先がない状況です。父の生前の生き方を勝手に解釈していたことがあります。先生が迎賓館で演奏を中断しておっしゃった言葉は知らない霊魂の話ではなく、父の言葉ではなかったかと。8月の終わりに大きな気づきをありがとうございます。オンデマンドで何度も聞きながら私の誕生月である9月に向かいます。

紫の実が今朝はなくなって、鳥がたべたことに思い当たりました。たとえ一点であっても出会った命を生かします。

ありがとうございます。

 

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一点の宇宙


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早速、今朝レンジでチンして頂きました 。食べ物からこんなにもエネルギーを頂けるなんて。今日の死についてには参加できません。残念です。今日も暑いですが京の都に思いを馳せます。左手も使って入力ができるよう […]