開かれた時間
昨日は貴重な 高麗屋さんでの自分を取り戻す時間をいただきありがとうございました。極上のおもてなし、極上のコーヒーとスイーツ、すべてが満ち足りた時間でありながらも、帰りに具合が悪くなり驚きました。頭の問題という高麗さんのビデオ講演会でのお話を思い出し、きちんと自分の奥に向き合いいのちの言葉を見つけていきたいと改めて感じました。
アントレにて先生がお話されていた北極星の著書は知らなかったのですが、その冒頭の文は2度もどこかで目にしていて知っていました。改めて やはり時間は未来からも来ると感じてなりませんでした。惹きつけられるようにして目に止まった 開かれた時間という言葉に、以前 先生からもご紹介があった ベルクソン という哲学者の時間に関する考え方に再度触れました。ここ最近 感じていることをそのまま表現してくれているような時間に対する考え方でした。
何かの利益や目的のために過ごす時間は閉じた時間だと書かれていました。1日に必ず自分を取り戻す 開かれた時間が必要で今はネットで様々な情報が入り込み、いつも頭が閉じた状態になっていることが危惧されていました。エランヴィタール、躍動する生の中に生きることとあり、私もそのように生きることが人間と感じました。
そう感じた背景には、先日の霊が先に行ってるというお話からも、霊は取り憑くという言葉の通り以前は 覆い隠すものだったように感じてなりません。私が奈良の高句麗伝説から自分を明け渡すという感覚を知るようになってから、体の外側と内側が逆に感じるようになりました。だから内面の宇宙という言葉が腑に落ちました。そこから少しずつ 内側から湧くようなエネルギーを知ることになりました。
ずっと閉じるように作られてきた社会の中で、存在が開かれていくことはそのこと自体がいだきの時代になっているように感じてなりません。最近先生や 高麗さんのこと、いだきのことを話すとき、以前のように身構えなくなりました。私がそうなったので 相手も当たり前のことのように受け取ってくれるようになりました。当たり前のことが当たり前であることが許される時、コンサートを求めることが当たり前になる時代がくると、そう思えてなりませんでした。開かれた時間をありがとうございました。
