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「緊急時連絡先」


向かいの美容室のおかみさんが、「あなたは独居高齢者なんだから、民生委員の「見回り」を頼んでおいた方がいい」と声を掛けてきた。そういう境遇であることをあまり意識していなかったわたしが生返事をしていると、つぎの日には台帳記入書類まで持ってきてくれる。親切心を無碍に扱うのもいけないと思って、記入しようとして、筆が止まってしまった。わたしには、緊急時の連絡先に当てがなかった。ひとり教え子にあたる男が「死んだらわたしが引き受けますよ。」というので、登山計画書の連絡先にかれを記入していたが、3年前の遭難騒ぎのとき、「勝手に山に入り、遭難されたリするのは迷惑」というようなことを言い、それが不快だったので、二度と頼まないことに決めている。おかみさんが適当に近所の男性に声を掛けて快諾を得てるから、なるべく早くとせかす。

しかし、たとえば、わたしが風呂場で倒れ死んでいるのを、何日かおきに見回りに来る民生委員が発見して、それをその男性に伝えたからといって、なにがどうなるというのだ。こういう場合、公的機関がなんとかするのだろうか。たまった負債はどうなるのだろうか。わたしの魂はどうなるのだろうか。わたしの「存在」は全く意味がなくなるのだろうか。

こんな思いを抱えて、今日の「存在論」に出かける。(仕事の関係で「応用講座」には出席できない。)

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ウクライナの人と
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比叡山にて
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「高句麗伝説」第11弾