お祭りに参加をさせて頂き
柳花様 今生きているお方が心の内を明かして下さっているかに思え、何と残酷な体験を強いられてきた人生なのだろうかと一人の女性が背負うには厳しすぎる現実を唯お一人で耐えて来られたことに、いまだに胸が締め付けられます。しかしながら、それで高句麗があることに心からの敬意と有難い気持ちと、どうか今は幸せでありますようにと心から祈ります。「中心」が帰る場所であれば、柳花様は、帰る場所も人も全て突然に消え去り、奪われてはならない命の中心を無理やり消されてしまったのだと想われました。非凡な感受性の朱蒙様も、母親の悲しみと大地からの悲しみとが重なったことと想われます。高句麗のお祭りで何故柳花様と東明王様が一緒に祀られるのか真意がわかった感覚です。女の自由を東明王様は実現されたかったに違いありません。昨日の高句麗伝説後半あたりで、深い音色が響き、何て強いお方か、どのお方かと表現される詩を待ちました。好太王様でした。詩が詠まれるごとに今の高麗さんと重なり、高麗さんそのものと想われ、涙がこみ上げました。皆の生きる場を創ることが喜びであることが甚く感じられ、故に先陣を切って進むことも臆さないと受け止めました。私は高麗さんが自分の精神の中心と感じておりました。何故なら実際にお会いすると、私たちが成したいことを実現されるど真ん中の風に吹かれ我に返る感覚を覚えるからです。しかし、この度の建国の真意、理念に立ち返る場に全国から高麗人が集結したお祭りを体感し、中心は自分の「魂」の源に触れる場所と感じられました。理念を継承した王が居られる場が必然的にお祭りの場になりますが、その建国の理念はそれぞれの「魂」の悲願であると思われ、自分もそれだと感じます。素晴らしいコンサートでした。振り返ると無数の古人も歓声を上げて楽しんでいたと感じられます。
誠にありがとうございました。
田嶋利江子
