身体を立ち上げ、取り戻す歴史的な高句麗伝説
ラテン系音楽、主にボンバのリズムからはじまる高句麗伝説。いだきしん先生はどのように表現されるのか?高麗さんは何を語られるのか?その空間の中で自分は何を感じとるのか?昨日の応用コースでいだきしん先生が壮大な予告編を披露してくださり、5月13日は身体を立ち上げ、身体を取り戻す音楽から始まることを確信しました。この日の高句麗伝説は一体どのような展開になるのでしょう・・?
高句麗伝説をはじめた当初は歴史的な解明よりも高句麗の精神が伝われば良いとの考えで「伝説」になったということでしたが、紀元前の東アジアで暴力や悪党が蔓延する戦乱の世にヌーっと朱蒙様が現れ、人が集まっていったその時代と、現代の世界状況が似ていることを教えていただきました。高句麗伝説は今や伝説を超えて歴史的になったとのことで、深くお聞きするにつれてその意味がジワジワと伝わってきました。また現代は 1%の人間たちが90%!?の人間たちを支配してしまっている世界状況のお話もありました。元々マル経研究者でもなかった先生が学生時代から独自のマルクスという人間と業績を徹底的に研究されていたお話も出て、私は「包摂」という世界状況の分析を思い起こしました。
マルクスの「包摂」については数年前にアントレプレヌールサロンで現代日本のマルクスの若手研究者の新しい視点を紹介いただきながらお聞きしました。先生とマルクスのことは私が先生と出会えた30数年前の頃からよくお聞きしていて、特に先生が若い頃に天才を研究されていた中の一人だったと思います。その当時、マルクスをピアノで弾けないかと考えている旨の構想をお聞きして、先生のピアノはそういう表現をされるものということに初めて気づき大変驚き、とても印象に残っています。今でもその演奏をぜひお聴きしたいと願っています。
一方で現代の世界状況というと米露、イスラエル、中東、ウクライナなどで起こっている現象が誰にでも知られていますが、ラテン系音楽、ボンバのリズムなどから身体を立ち上げて、身体を取り戻すと仰る背景には中南米の歴史や社会の成り立ちと現代世界との繋がりもあるのではと推察致します。昨日じっくりと聞くことに集中し、閃いたことを調べたりしましたが、すでに1日が経って漸く先生の壮大な予告編が自分事と成ってきました。そして昨日から今日にかけての1日は濃密でこのプロセスの一つ一つに存在を表す実践が詰まっていると感じます。
最近のコンサートメッセージ「初恋」。初恋は相手ではなく実は「世界に呼び出された」瞬間だったという意外なテーマでした。初恋が思い出になると共にいつしか「日常」が変わってしまったことも知りました。しかし、「世界に呼び出され、開かれた」経験は実はいだきしん先生との出会いで新たに起こっていたのでした、愛の経験です。結工房での先生の焙煎日の前日、3月24日の仙台コンサートで「あわい、結い、愛」がテーマでした。この時の「 愛とは、ただ感情ではなく、自分と他者が互いを消さずに触れあうことです。」とのメッセージが二部であり、4月19日、迎賓館で晴美さんについてのお話で一気に蘇り、その後、ずっと心にあります。私には恋も愛も恋愛もその先生の表現でグッと身近になりました。いつも4月19日から大きく世界が変わると先生が仰っているとのお話を高麗さんからお聞きしましたが、今年は私自身にとっても大変大きな転換点になりました。
昨日は来年になるといよいよ全ての一人一人が人生を自分で考えて行動するよりない時代に突入するとのお話もありました。そのような時代に
「自分と他者が互いを消さずに触れあうこと」を実現するのはとても難しいこととあらためて感じる毎日です。どんなに自由なように見えても制度や組織、運営や役割は存在者が“存在”を消してしまうことは日常茶飯事です。全く「新しい関係性による出来事」が次々と起こっていく存在のはたらきが求められます。身体を立ちあげ、取り戻し、一人一人が世界を変える一歩を踏み出す5月13日の高句麗伝説、壮大で尊い予告編をありがとうございます。
