託されたいのち
先日からいだき講座のことを求めていると感じる方がいました。息子さんがアトピーで、その息子さんの息子さんも重度の皮膚疾患、その方はいつも誰かの面倒を見るように決まっていることを嘆いていました。運命があるということをそのまま教えていただいているように感じました。
昨日、高句麗の地を旅する会に参加することが叶い、不勉強から軽率な発言をしたにも関わらず、鴨緑江についての気持ちをお話下さったこと、家に帰ってからネットで調べてもなかなか高句麗の時代に起きたことは出てこず、改めて人間のうちに刻まれた歴史について考えさせられました。途中、高麗さんから内にある引っかかっているものを表現できたらとお話があり、辿っていくと 自分の母も同じように歴史を繰り返していたことが見えてきました。
前回の高麗屋さんで託された命の重さを感じ、昨日は前日に 激しい 雷雨の中を2度も歩く巡りになり、その経験から当日は雷にせき立てられるように 高麗屋さんへと向かい、首と心臓が覆われているように苦しく何かが起こると感じていました。自分の内にある目立つことが怖く存在を消すことで安心すること、母が 日本の地で よそ者であったように、私自身も いつもよそ者であるように生きる 癖がついていたのだと気づきました。ある方が自分の生きた痕跡を残したいと話していましたが、私はそう感じたことはなく、本当に 歴史に刻まれたもので人間がつくられること、争いの火種になること、いだき講座とは何かを教わっているように感じられてなりませんでした。
報われなかった 魂が望んでいたこと、誰もがそのままのいのちで輝ける新しい国創り、悲願の実現に向けてまっすぐに進んでいきます。場を創ってくださり、高麗さん、皆様、ありがとうございました。
