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舞い上がって


愛媛大学に今年入った教え子は、いつも夜中に電話してきて、自分がいかに幸運に恵まれているか、素晴らしい出会いと勉学の機会に恵まれているかを、それこそ踊るように語るのだ。彼女との出会いと別れ、友人たちとの交流と挫折、現地実習のおもしろさとくだらなさ、古文書との格闘などなど。当方としては、ついつい謙虚さと礼儀を忘れないようになどと言ってしまうのであるが、昨日は、そんなこと言うまでもなく、むしろ「舞い上がって」いていいのではないかと思った。「幸運」と共に舞い上がって何処までも行けばいいのだと。わたしも18歳くらいのときは、何も知らず、何もわからないながら、舞い上がって、青春を謳歌していた。世間知らず、苦労知らず、の「坊ちゃん」だった。不幸や貧困や病気は、まだずっと遠くにいたし、孤独でもなかった。そして、長い人生で、それらいろんな不都合に出くわしてきたが、結局は、
舞い上がっていたときの自分、純朴で、素直さだけが取り柄のような自分が一番原点で、そのエネルギーで生きてきた。「幸運」を謳歌してればいいようにも思った次第。どうもかれにうまく伝えられず、ここで言語化してみた。もっと「いだき」に出会い、先生に邂逅した、この「幸運」を体現すればいいのだとも。

 

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