KEIKO KOMA Webサロン

熊本の現実と日本神話、存在。


狛江の応用コースで存在を表し生きる具体的なこととして熊本の危機について再々仰っていただいた2時間15分はとても衝撃的でありながらもそのまま自らに問い、何とも答えられない歯痒さを感じながらその日は終わってしまいました。その後、先生からの問いかけを「存在論的」ではなく「存在」としてどう答えを出すかと考えてきました。

かつて熊本城で24時間テレビでの31時間連続ピアノ演奏や菊池水源にピアノを持ち込んで弾いていただいたことなど先生、高麗さんに来ていただき実に様々な活動を展開してきたことも話していただきました。その土地に今、台湾の半導体企業がやってきて国や県の莫大な支援を受けてやり始めたことの先に見える熊本の未来、国の未来は調べれば調べるほど先生が仰るように想像することは難くありません。熊本での暮らしは長く、平成7年までは職業柄もあり県内市町村を隈なく歩き回ってきたので具体的に山や海、川や平野、そこに住む人々の姿が見えてしまうのです。先生にご指摘いただいた水俣病。その世界的な公害の原点と言われる水俣病を起こした経験は、つい数日前も国の役人の水俣病患者さんへの非人間的な行動で何も変わってないことがマスコミを通して世に知らされました。国と患者さんたちのあの会議の様子が水俣病が70年近くも放置され続けてきた日本の姿でした。

狛江の応用コースではすでに「自分なりに」考える時は終わり、「ど真ん中」で考え、「存在」を表す時と捉えていました。先生が仰る「神と一体」とは「先生と一体」と考え、昨日の二つの講座では先生との対話を通して考えたことをグレードアップさせていただき、行動については「特別に何かの運動をすることはしない。共同体的な動きもやめた」と明言され、自分もそのように考えはじめていたので、「人間とは」をベースにまず自分の存在を表すことがこれからの「みちひらき」と考えます。

「存在論」では日本の神々について曖昧な理解に止まっているところを次々とお聞きでき、神々の存在について一気にクリアになっていきました。が、先生との対話での経験であり、実際に自分が神々のことを直接わかる身体ではありません。先生が「神殿」と言われたからだになるべく水のことや食べることを熊本の危機との繋がりの中で学べました。水を一つのスパイスのように使い、カレーを美味しくする。玉ねぎを徹底的に炒めて良いタイミングで水をさすことで食材が生きるとは経験的によくわかります。神殿のようなからだを作るのは自分で作って食べることに加え、料理の奥深さを感受することとも考えました。

先生が「人間とは」を探求され、よく山へ入られた頃に「若光」と書かれた木片を拾われたことは、初期のいだき講座を受けた時から何度かお聞きしていますが、昨日それは三峰山周辺だったとお聞きし、私にとっては驚きの大発見でした。三峰神社は日本武尊が東国征伐と言われる蝦夷の平定を景行天皇に命じられた時に伊邪那岐尊、伊弉冉尊を祀って創建されたと聞いてます。昨日三船敏郎さんが演じた日本武尊の映画の話をさせていただきましたが、若光王が先生と会われた場は日本武尊、また、国生みの神、伊邪那岐尊、伊奘冉尊と繋がっていたのですね。琵琶湖で日本の姫たちが高麗さんの存在によって現れはじめていることもお聞きし、先生のメッセージ「ヤマトの神々はやさしいのです」が蘇ります。
いつも尊い経験の場をありがとうございます。本日の高句麗伝説もよろしくお願い致します。

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