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決めごと


「国葬」に反対してデモに参加する気はない。「国葬」に賛成して弔意を分かち合いたいという気持ちにもならない。なにか両者ともピントがずれてきて、(「国葬反対!」の声がちっとも共感をもたらさず、「安倍さんは十分に活躍した」という声も何か偽善的に聞こえる)不毛な論議ばかりが浮き彫りになってきているように思う。コロナ対策についても、しだいに訳が分からなくなり、どう対応して行ったらいいのかが不明に。T教会問題も、政治家とのかかわりが広がる一方で、もうどうしたらよいのか、見えなくなっている。ほかの宗教団体とのかかわりはどうなっているのか。「政教分離」の建前は守られているのか。なにか有耶無耶のうちに、すべては時の流れに従って、忘却されてしまうのか。――こんなことをしていてはだめだと思う。問題をずらしたり、別の言葉にしたり、核心をぼかしたり、ちゃんと胸の内を言わなかったり……。とにかく、わたしは「書く」ことを止めないでおこう。

今日、高校生の相談に立ち会って、その奇妙なものの決め方に、いまはこんなふうにやっていくのかと思ったことがあった。担任がコロナで不在、臨時にそのクラスに行くと、文化祭の模擬店(たこ焼き店)開催準備の話し合いをしたいと組長が言うので、じゃあ、30分でと承知する。組長は、一応、役配や分担を書き出すのだが、ちゃんと担当者名を記入もしないし、自薦他薦の声も十分には聞かない。クラスメートもスマフォをいじりながら、適当に発言している。しかし、模擬店をやることは、もうみんな承知しており、そのための打ち合わせが必要なことも分かっているらしい。傍で見ていて、「こんなことで間に合うのか、うまくやれるのか」と心配もするが、生徒たちは、文化祭に向けて一歩前進したような顔をしていて、屈託がない。「うちからボウルを持っていくよ。」とか、「昼時が一番大変だから、交代してやればいい。」とか言っている。採決をするでもなく、議決を確認することもなく、相談はなったようなのだ。――何かどこかの政府のようでもあった。(9/27.)

 

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