死者の自律!? から考えること
死後の世界があることを前提にしないと紐解けない人間のこと。病気でないことが健康ではなく、生まれ持った資質を生かしてこの社会、世界で生きることが健康であること。空間には何層にも何次元にも様々に目に見えない世界があること。内面は宇宙より広いこと。・・・等々、いだきしん先生と出会ってから学び、知った真実ですが、これらの中心にある生命、存在が自分の身体を通してしか理解できないことも重々知りました。しかし、未だに知ってるだけでわかってるわけではない現在、わかりはじめる時機到来を感じます。ただ、わかろうがわかるまいが、先生が話されることは全て真実というわかり方があるということは揺るがぬ真実、と考えていましたが・・・。
一方で死者の自律!? と私には受け取るよりないこと、が盛んになっているとのお話を先生からお聞きしました。死者の方々のほうが先生への理解が進み、先を行ってるという今、身体がある人間は「死者の自律」とでもいうべき状態を受けて祟りや病気などの様々な現象に悩まされながら身体が縮んでいるとのことらしい。「存在を表す時代到来」とお聞きしても、それがどういうことかわからない我々、いや、私自身。死者の自律によって逆に真の自律を促されている今、綺麗事ではすまない「存在をひらく」という厳粛なはたらきをしていただいていると知ります。「せっかく病気になったんだから」と仰る先生のお言葉の意味の深さ、その真実は誰にも想像もできない歴史的な大事件とも知ります。
聞かれることでひらき、愛されることで世界へ戻る存在。
いだきしん先生のお話を伺うにつれ「わかろうがわかるまいが真実」と大事な理解へのプロセスをジャンプして捉えることは傲慢と気づき、身体を置き去りにしていることを認め、身体を取り戻し、自ら身体を立ち上げる真の自律へ粛々と向かう唯一の機会、いだきしん先生と共にあるフィールドで交流させていただくチャンスを重ねていくことこそ人間として生きることと理解します。
いつも尊い機会を次々と創っていただきありがとうございます。
