KEIKO KOMA Webサロン

希望ある場を創る


盛岡で聞く死についての講座、高麗さんの講演会、やはり場の熱量が半端なく、ここでよりない講座でした。

間主観という言葉、死について様々な哲学者の考え方があることを知りました。ハイデガーについて先駆的に死を捉え目的意識が強くなること、専門性が強いことは深いけれど視点が狭くなること「勉強する」ということを通して私も確かにそう感じてきました。アウトプットがたりないとこういう状況に陥りやすいと誰かが話していたのを聞いて納得し、知識と行動があって本当の経験、本当の学びになるのではないかと感じています。

29歳で母が心臓で急死した時、母の自宅で発見した瞬間、何が起きたか母の死を受け止められずにいました。何が起きたのかを徐々に冷静になって理解出来、動くことが出来ましたが、知り合いの友人は父親の死の知らせに意識をなくして倒れたと聞いています。死をどう捉えているのかと先生が問われた時、この母の死を経験して考えた多くのことを思い出していました。

もし、多くの映画であるような不老不死の薬があるとしたら、自分はそれを望むだろうか…と。死なないということを考えた時、生きることが曖昧になること、命には限りがあるからこそ今という瞬間を大事にすることができる…だから私はいらないと答えになりました。死についての先生の講座を参加された皆様と共有できたこと、そのことそのものが愛おしく貴重な時間と感じるからです。

母が亡くなった時親戚はショックを受けている私に弔辞が話せるだろうかと心配していました。でも私にとってはそれが唯一母のためにできることだった…心配してくれる母にうるさいと言う一言を最期の言葉にしてしまった永遠の後悔がこの瞬間に悔いなく生きることを話させた、心と言葉に隔たりがない、真より発せられる言葉でした。

ロシアとウクライナのその背景に宗教があるということ、そうなると溝は深いと感じ、一度きちんと宗教史を学びたいと感じました。様々な歴史があり今があること、高麗さんのお話から先生の奥様と高麗さんのご縁を思い、魂の流れを思い、今までのいだきの活動をお聞きして、きれいなだけでは生きられないとの先生の奥様からのお言葉から新しい道を見つけられたこと、新しい胎動、雪解けの時を迎えているように感じています。

先日のコンサートメッセージ、個性は英語でindividuality、divide切り分けるのを否定して【これ以上分けられない】という意味になるとは習いましたが、何から分けられるんだろうと昔から気になっていました。素と言葉が浮かび素粒子とつながるのかもしれないと感じました。空間と自分、そのつながりの中には今まで自分が知っている以上のことがあるのかもしれないと、新しいいのち輝くコンサート、その空間は確かな希望の光の場となっていると感じてなりませんでした。参加できる幸せ、少しでも多くの方々と共にと願い動きます。ありがとうございました。

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お家ブティック 京の華にて
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高麗恵子スカイロケットセンターにて
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