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女性性の開放


昨日、長時間に渡る いだきしん先生の大ジェンダー講座をありがとうございました。受講中、自分は嘗てアンフィニで定期的に開講されていた 先生のジェンダー講座に、夢中で参加し続けた日々と内容を次々想い出していました。

20代の終り、男性社会の鋳型に自身を嵌め込むようにして 女性性を自ら否定し 仕事し続けていた時 IDAKI講座を受講した自分は、講座3日目終了直後に肺気胸で入院し、検査で胃と十二指腸に潰瘍もあることが判り その後 療養しました。強い意識で身体の痛みをも否定し麻痺させていたのが、いだきしん先生にお会いする機会を得て運命の因子解かれ、ブロックし死にかけていた心身が開放され、病が一気に表に現れたのです。その真実を自分は退院後に知り驚愕しました。その後、心身を再生するのに社会、世界のことを解っていくのは必須であり 自分の未来は自分個人等という小さい単位ではない。社会、世界、延いては地球、宇宙に繋がっている…と 先生が教えてくださるアンフィニでの各々の講座で次々判明していきました。そしてとりわけ、男性社会に於ける女性の在り方の変遷を説かれた ジェンダー講座を学ぶことで自らの身体は激変をし続け、講座のタイミング毎に大きく解決する出来事があり、それは昨夜終えてからも また心身、周囲に大変化が起こり今に至っています。

予てよりジェンダー講座で先生に教えていただき自ら紐解かれた、そもそものところから書かせてください。 80年代、四大卒業後 自分が社会に出た時に配属されたのが、その某組織にとって初めての女性総合職で、その年は 改正された男女雇用機会均等法の第1期目に当っていました。当時、男性と同じ総合職として働くことに 自分は特に意気込んでいた訳でもなく、たまたまその年が改正男女均等法第1期で、その時勤めてみたかった職種の女性第1号がたまたま自分だったという状況でした。ですがそれからは、自分にも組織にとっても初めてのことばかりで、唯一の外勤女子である自分は常に社内で色モノ扱い。2022年の今振り返ると隔世の感というか おかしい程ですが、女性が外勤の某人気職で働くのは 当時それほど珍事の如くだったのです。そのような日々のある時、仕事先の某マスコミの方から「岩村にそっくりな人が漫画になってるよ」と言われ手にしたのが、所謂 後に流行り言葉になった(造語) オヤジ女が主人公の物語でした。おやじギャル、オヤジ女…。20代女子でありながら、普通に働く若手男性を差し置き 熟年会社員の親父のように ふてぶてしく仕事も趣味も行う女。半ば嘲笑、半ば礼賛のような銘名のされ方に自ら納得し、当時経費も莫大に遣い仕事を続けました。男性社会の鋳型に全身を合わせ女性性を殺し数年過ごした挙句、肺は破け内臓は潰瘍が幾つもある状態になっていて、担当医の先生から「この状態で よく生きてここに来たね」と驚かれ、後に生き延びたのは いだきしん先生に命を受け容れていただいたからだと解りました。

入院から40年近く、たくさんのアンフィニ・ジェンダー、大ジェンダー講座を経て自身の女性性は既に開放されていると思い込んでいました。が、ここ講座前数日、自分以外は男性のみの仕事を行う中、分断の罠に嵌まり 心に傷を負う出来事に遭い狼狽えました。昨日のジェンダー講座で 先生から自分の在り方の間違いの答をいただき、今、真に女性性が開放される時の来ていることを知り 震えます。
本日、明日の いだきしん先生コンサート、全身全力で参加します。真にありがとうございます。
岩村ゆかり

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