KEIKO KOMA Webサロン

全体と生きる死


京都の応用コースと死について、ビデオ講演会をありがとうございます。

お話にあったインプラントのネジは直径4.1mm、長さ2mmだと調べてわかりました。お金が大きく動くことは暴力と切り離せないと以前?組長のお話の際に伺いました。私自身は拗ねて人をコントロールしようとしてみたりといった、直接肉体を殴る蹴るなどではないけど相手の意思を尊重しないある意味での暴力は知らないうちにずいぶん使ってきたと自覚するに至っています。それも良くないことです。しかしここでいうお金の大きく動く暴力というのはもっと違った意味のものと感じます。そういった世界を他の何をも知る前から敢えて志すよりは、高校生はまずはもっと他の進路を考えても良い気がします。私自身は田舎者で馬鹿なので「お金持ち、お金持ち」と深く考えずにワッショイワッショイ、なりたいと漠然と思ってきまして、でもNPO KOMAのシリア・パレスチナへの支援の仕方、いだきしん先生のお話などを学ぶにつけ、ああ、心ある人間らしいお金の使い方こそが未来といのちを育むのであるなとわかってきました。下手にお金があったら確実に変な方向へ走っていた自分が目に浮かぶので、これまでカツカツでやってこれたのは幸運だったとも、負け惜しみなどでなく本当に感じました。お金があったらあったで使い方を、的に矢を射るように決し続けていくことになりますので、結局はお金が無い場合と変わらないと最近わかってきたのです。

わかっていく力、体力、やりとげる力等が、全部自分の中にある。精子と卵子が融合した瞬間の光が空間の光と融合する。愛は、光が空間と融合することと感じ、先日幻のコグリョカフェで書いて頂いた詩の『空間とひとつの 広い自分 自由 生きる』を身の内に感じました。全体と一つだと体も部分的にならずに対話も上手くいくという生きるヒントをいただき、大切に日々確認します。

『推計学』という学問の名前をお聞きし、これは本を読んでおかないとと確認しました。なんだか最近感じるのですが、社会統計、プログラミング、マーケティング、WEBサイトの解析など、ベースとなる世の中のことは数学が基礎になっているというか。愛+数学というか、愛は数学なのか。少なくとも愛が土壌にないと恐怖でじっとしていられなくなるので、私には愛の状態のない数学は考えられません。でも愛がなくても悪魔的に能力を高めて数学を使われてきた世の中でもあると思うので、数学=愛というわけではないのかもしれません。ともかく算数、数学は大切で、こどもの頃の教育のなかで、カウントを取り始めて罰を与えられるようなやり方を受け「数学おっかない」と何も考えられなくなってしまうというのは想像以上に致命的だと。話が少しずれますが、前頭葉を破壊されるとイエスマンでよりなくなるというお話もちょうど『死について』であり、私はまだ少し過去からのイエスマンの癖が残っているので、前頭葉を活性化させるサプリでも摂ろうかと考えました。今もまだ、ちゃんと向き合って考えようとすると「叱られる、逃げろ逃げろ、ごまかせごまかせ」とざわつく何かが少し居ます。でも減ってきて、考えられるようになってきています。

何かにとりつかれるときはだいたい背中からで、言葉が曖昧になってくるというのはとても良くわかります。体を取り戻すことで言葉もしっかりしてくる、でも取りつかれている時ってお風呂も嫌だしお片付けも面倒になったり、パンをたくさん食べたくなったり、言葉もさることながら在り方もグズグズとします。日頃から食べたいものを食べる、買いたいものを買う、お金とかものに囚われないという命の感性を大切に、言葉を大切に、自分を見失わない生き方を身に付け続けます。

ありがとうございます。

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