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先生のお話「体を置き去りにしない」を視聴して


 先月23日の「応用講座」で、「体を置き去りにしない」というテーマを聴講していると、もう体が楽になり、喜んでいるのが分かったが、まるで取り留めないメモしか取れていなかった。(その前の「存在論」では、「プロセスの言葉」を使うことしか書きとれなかった。)で、30日の「先生のお話」オンデマンドを、一昨日と昨日、2回視聴し、やっとすっきりできた。そして、「言葉を紡ぐ」ことを生業にしている国語教師として、とてつもない課題を与えられたような気分にもなった。
 資本主義体制の矛盾に直面し、疎外やアノミーをどう克服していくか、宗教や教条主義に寄らずに、心身の解放と創造の意欲を目指すには、まずは「言葉遣い」を考えねばならない。そして、親子や友人、そして、教師と生徒の「関係」を一新しなくてはならない、と言うように聞き取ったのであるが、これは難問である。しかし、なんとしてもやりたいという気力が湧いてきた。語彙習得や文法の理解は当然としても、それ以上に、これまでの常識や規範意識とは違う新しい教育を模索追求せねばならない。
 幸い、日本語には「皮膚感覚」を表す言葉が多い。「肌が合う」とか、「寒いぼが立つ」とか。また、「腹が立つ」とか、「胸糞悪い」とか、体言葉が多い。さらに、「イライラする」とか、「ぞくぞくする」とかの擬態語も豊富だ。今日も、学校で「やきもきする」の説明に苦労したところ。――ただ、そんな物知りを披露することではないことは承知だ。
 文章教室の初めに、「昨日あった良かったことを三つ挙げなさい。」という“モチーフ・メモ”をよくやるが、いまの高校生は、「よく寝られた。」「何々を食べた。」をよく言う。これは「体を置き去りにしない」発言だと、ひとり喜んでいた。――これとて、真の「言葉つむぎ」には程遠いことだろう。
 わたし自身は、柳田国男の「清光館哀史」や、宮本常一の「土佐源氏」のような文章に憧れる。論文と随筆、紀行と物語、日記と詩作を止揚したような文章を書きたい。そして、会話とも対話とも違う、相談でも嘆息でもない言葉遣いで人と話し、互いに認め合い、つぎのステップに進めるような座談をしたいもの。――7日の講座が待ち遠しい!(6/4)

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三鷹市芸術文化センター 風のホールにて
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