今
1ヶ月振りに会った母は、まるで変っていました。「脳梗塞になって、よだれを流しながらただ寝ている人を見て、自分はありがたいとつくづく思った。助けていただいたことに感謝しかない。神様は、ちゃんと見ていらっしゃる。」開口一番、私に話すのです。「帰りたい。いつになったら帰れるのか」と私をなじっていた母ですが、今回は一言も口にしませんでした。更に、既に亡くなっている母の兄のことを慮って、「いつまでも過ぎたことをぐちぐち云うなと、お祖母ちゃん(母の母)に言う。」と私に告げるのです。長女としての毅然とした意思が、母の顔に表れていました。私が会社を卒業したこと、家の庭があまりに雑草で荒れているので業者に依頼することを話しても、母はまるで無反応だったことに少しショックを受けた私は、自分の過ちに気がつきました。そんな些末なことは、母にとってはどうでもいいことでした。母の世界の方が先にいっていました。私は自分勝手だなと思い知りました。母のベッドの上にいたグローグーのことを尋ねると、「この間、この子の名前を聞かれて私も覚えていないから、まる子って言ったら、まるちゃんが大人気で夜まで帰ってこない。」と云います。頭も目も丸いから、まる子だと聞き大笑いしました。私がいない間も、この子は活躍してくれて嬉しいです。帰り際にスタッフの方に、まるちゃんのことを話すと「ころちゃんと教えてくださりました。」思わず「まるちゃんも、ころちゃんも同じですね。」と笑い合いました。当の本人は涼しい顔で私の姿を見て「あ~びっくりした。あんたが杖をついてきたかと思って、どうしようかと思った。」と、ビニール傘を指差しました。またしても大笑いです。「心配してくれてありがとう。大丈夫だよ。」と、その場で足踏みしたら安心して頷く母を見て、思わず泣きたくなりました。母はどんな時も私の母であります。元気で長生きしてほしいと心より願いながら帰宅しました。
先生のお話で、高句麗のことをお聴きすればするほど、とんでもない今なのだと身震いがしました。先生が仰った「死者と生者が共存する」との言葉から、四神図と五神図についてChatGPTに聞いてみました。死者を「暗い穴の中に閉じ込める」のではなく、天地・四方を備えた世界の中に置く。始まり → 現在 → 未来 → 始まり → 現在 → 未来……共同体が繰り返し身体化する仕組みが10月の祭りとありました。先生からお聴きすることが深まります。先生が秋田のなまはげの話をされましたが、私の父は秋田の人です。父方の祖父が突然脳梗塞で倒れ、慌てて千葉から駆けつけて最期に看取ったのは偶然にも私1人でした。夜、私が勉強していた時に突然「かんずえちゃん」と、祖母のやさしい声が聞こえました。私が叫んで父を呼んだのと同時に電話が鳴りました。秋田では祖母が最期に誰の所に行ったのかと不思議だったそうです。1人の所にだけ最期に訪れると、その時教えてもらいました。父の時も、まるで予知するかのように真夜中の母からの電話が鳴る直前に目が覚めました。身内のことだけでなく、死者という言葉を深く受け止める今です。「帰りたい、帰りたい」不意に突きあげる幼い頃からの衝動は、誰にも言えませんでした。「ここがお前の家。どこに帰りたいの」いくら自分に言い聞かせても、抑えることはできませんでした。先生と出会い、高麗さんの詩を拝見し衝撃を受けたあの日。そして今、何が起ころうとしているのでしょうか。武者震いがします。
