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一体化 。スペシャル応用コース(2)


5/1の応用コースでいだきしん先生から教えていただいた大事なことはいのちを守ることであり、いのちを大切にすることから「現実に起こる事象」の正確な理解と判断が生まれ、具体的な行為がはっきりすることです。
熊本に進出してきた台湾のIT企業の件は、かつての熊本の仲間やメディア等から聞き知っていましたが、詳しく調べたりはしていませんでした。先生がご家族や高麗さんと久しぶりに行かれた沖縄のこと、そして出雲、仙台、北海道のお話が熊本が直面する現実に連なる日本の危機を仰っていることは推察できましたが、かつての水俣病や不知火海の環境問題のような新たな状況が起こりつつあることをお聞きするまでは、ぼんやりとした危機感で閉じてしまっていました。


地域の問題や課題は地域の人たちが表現、発信すべきこととは長い間自ら問うてきたことであり、先生に出会ってからはその基礎づくりをさせていただいてきました。内面的には存在論での学びがあり、最近はハイデガーの晩年等を通して「存在論」は「存在」そのものを問う場に深化し、物事を対象化する生き方からの脱却にシフトしていただいています。同時に外界の世界で起こっている現象から人間社会の仕組みや隠れた実態を把握する先生独自の人間的な視点を学び、自分でキャッチする感受性も磨かれてきました。存在を問うことは自ずと「神」の存在を知ることとわかり、先生の表現では「いのちのちから」が核にあると理解しています。一方今でも氏神信仰と言われる日本独特の人格神の存在がありますが、天照大神の現代の天の岩戸隠れが実際に起こりつつあることも教えていただき、「誰が踊るんだ?」との問いから八百万の神々のはたらきが蘇るように人間一人一人が存在を表す時と捉えます。


また今大事なのは天照大神と素戔嗚尊が一つになることとお聞きし、それまでの疑問が解けました。以前から何度か質問させていただいてきたのですが、自分が気になっていた高天原の天照大神とはどこか違う神々” 饒速日命、素戔嗚尊、大国主命、豊受大神”などに感じるよく似た性格、譲る精神、それは「国譲り」が象徴する引き際の良さが継承されていると感じるのですが、先生の仰るように天照大神と素戔嗚尊が繋がることでどのようなことが起こるのでしょう?神話は今、高句麗伝説によって新しく動き出す時を迎えたと受け止めます。


振り返れば、狛江応用コースの数日前からマルクスのことが再々気になるので、白井聡さんの著書を読み返していました。「資本論」そのものは一度もまともに読めたことはありませんが、白井さんの「マルクス」はとてもわかりやすく書かれてあり、特に最近先生から示された「包摂」については講座でお話があった時に読みましたが、今読み返すと全く違って読めて、「包摂」の意味がわかるようになってきました。30数年前に先生と出会った頃から「マルクス」をピアノで弾くとのお話を何度かお聞きしていましたが、先生がこれまでの時代の要所要所にマルクスを登場させておられた意味が数十年経った今、漸くわかりはじめました。今回の熊本をはじめ、列島各地の様々な大きな課題、危機到来については「資本論」ですでにマルクスがあの当時に指摘していたどこまでも人間が資本に「包摂」されていく世界が繰り広げられており、いだきの真髄はその「包摂」を超えていく生き方の実践、存在を表すことと捉えます。神話の神々とマルクスの資本論に限らず医療、福祉、AI、物理、数学、ジェンダー、宇宙・・・あらゆる分野の最新の動きを次々と教えていただけることで自分で考え、自分で決めて動くという基本が知らず知らず身についてきています。


いだきしん先生は人間、神、自然、あらゆる生命、存在・・・、と共に生きておられるので、愛に生きる先生と共に生きる実践の積み重ねからしか真の愛を体得できないのでは?・・というのがずっと私自身のテーマでした。言い換えれば自律とは?を問い、自分でやっていくことと先生と共にあることの一体化が課題でした。いつもどこかでぼやけていたものが今回は迎賓館コンサートの経験から、狛江の応用に至るプロセスで理解が急速に深まったと振り返ります。先生と晴美さんの出会い、育まれた愛、神と一体、男女一体、自然一体・・・「宇宙の中の人」との存在に導いていただけることに感謝致します。メッセージをいただきましたように猿田彦大神の道案内に頼ることなく心、魂をひとつにして歩み出していく時に貴重な機会をありがとうございます。いつも尊い経験の場を真にありがとうございます。

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高麗恵子ギャラリー、東京高麗屋にて
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再び登場 あいちゃんシール
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京都コンサートホール大ホールにて