マジやばい! ~6/7二つの講座の後で~
「ほんとうに危ない」と「ほんとうに素晴らしい」と二つの意味が生きている。江戸の遊郭や的屋が使った言葉が、いまは若者たちの間で後者の意味で盛んに使われている。昨日の講座は、わたしにとって、「マジ、やばい」ものだった。勿論、「すごく良かった!」のであり、真面目に受講し、しかも体が軽くなったことがうれしかったのである。ただ、「真面目」ということについて考えてしまった。「真面目」だけでは、「やばい」(危ない)のではと思った。
もちろん、だれもふざけて受講しているわけではないし、真剣勝負のつもりで発言されているのだろうと思う。なかなか自分の真意が言い表せず困惑したり、質問の意図とさえ分からなくなってしまったりと、その真面目さを揶揄しようなどとは考えていない。この機会に、わたしの「真面目」な性格について、考えてしまったのである。
わたしの「真面目さ」は親譲りである。実父は、気の小さな真面目な性格で、うだつの上がらぬまま、原爆の後遺症で死んでしまった。宮崎の「父」(血縁上は祖父)に馬鹿にされていた気の毒な存在だった。その実父に瓜二つというのが、親戚中のわたしの評価なのだ。だから、「真面目」なだけではだめなのだと、いつも考えていた。しかし、この遺伝的性分は、どうしようもない。それが、イダキを受講しているうちに、どうにかなりそうに、この先に向かって、変わっていくように思えたのである。
「言動や仕事に真剣に取り組み、嘘やごまかしがなく誠実である状態」の意味での真面目さは大切なこと言うまでもないし、わたしもそう心掛けている。しかし、それが行きすぎると、「柔軟さの欠如・抱え込みすぎ・型苦しさ」になってしまうし、コツコツ継続努力さえしていればいいのだということになる。几帳面さと礼儀正しさのゆえである。だから、「真面目」なことを否定する気はない。しかし、それだけでは、いま一つの飛躍に賭けると思ったのである。
若者たちのように、「マジやば!」と感嘆詞として、驚嘆を表すいみで使う方がよさそうである。もっともっと感嘆し、感激することが、「未来からの言葉」をキャッチできるのではないかとも!ありがとうございました。(6/8)⋰
