お誕生日に閃く空から
先日のいだきしん先生のお話ライブの時に和太鼓だけで高句麗伝説、との先生のお話に同席されていた高麗さんはじめ3人のスタッフがウンウンとうなづいているとお聞きし、九州からも同じくうなづいていたことをご報告します。ご自身のお誕生日なのに毎年、私たちのことを考えてコンサートをしてくださりいつも申し訳ない気持ちです。
一方で祟りや怨霊、身体の痛み、怒りなどとして閉じ込められた存在があらわれる場合があるとお聞きし、とても助かっています。そのようなことがあることをお聞きしていないと迂闊にもとても大事な変化を誤って潰してしまいます。特に先生が身体を置き去りにしてないか?身体をとりもどすぞ、身体を立ちあげるんだ、と何かにつけて伝えていただく機会が続く最近は身体の声をきくことが習慣になってきています。
同時にこの期間はこれまで長く付き合って来た方々にも同じような変化の兆しを感じる事が多く、それぞれが考えるようにやりながらも自然と向かう方向性が決まってきたようになってきています。その方向性とは?知る知らない、受講している、していないに関わらず、いだきしん先生に向かっていると感じるのです。どう考えても先生の生き方、先生の存在に向かうしかない人類の未来を身近な関係性から窺い知るのです。だからこそ自己の存在を表す時と理解します。説明ではなく、案内でなく、主張でもなく、自己の存在をあらわすこと。構えず、お互いを消さない関係性を大事にすることこそ今、求めるところです。
あらためて いだきしん先生、お誕生日おめでとうございます。本日もコンサートの一席に座らせていただく幸運に感謝致します。
どうぞよろしくお願い致します。
