お浄め
今日は先生の故郷の青森が大雨により大変な状況になっているニュースから一日がはじまりました。最大の雨量が観測されていると知り、被害がないこと、皆様がご無事でありますことをお祈り申し上げます。
眠れぬ一夜が明け、大変しんどい状態でも魂コーヒーを頂き、出かける事ができ、忙しい一日が終わり、感謝します。人の内に闇や悪魔的エネルギーを見る時、自分の内には更に大きな闇、悪魔的エネルギーがあった事に気づきます。人は鏡であり、自分の内に何もなければその巡りに遭うことはないことを改めて身に沁みわかります。闇にひっかかったという表現を使ってもやっているのは自分であることを身をもってわかり、誰のせいにも何のせいにもできないことを受け止めます。ちょうどスタッフと話していた時に気づくこともありました。いつも人の目が体に張り付き、監視されているようで、仕事や用事が終わると一目散に帰宅する毎日に嫌気がさしていましたが、その目は「疑心暗鬼」という言葉を聞いた時に、一致したのでした。わからないと自分の見た目や解釈により思い込んでいきますので、正に「心に疑いがあると暗闇に本当はいない鬼まで見えてしまう。妄想から生まれる恐怖心」と書かれていたことが腑に落ちます。私が心配していた人は私のことを心配していたことも知り、すべては自分の内にあるものが写っているのかとしみじみ考える一日でした。最近は表現していかないとどのようにも思われてしまうと感じることが多くなり、正確に表現し続けていくことの大切さが身に沁みます。身近にいる人でさえも、私の気持ちややっていることは理解されていないことがわかり、黙っていては誤解されるばかりと感じ、改善していくことを考えます。高麗屋のご参加に際しましてもボランテイア活動であっても私から一方的に判断を下していることはありません。ご本人に何度もお話しをし続けています。誰もが人の話をきちんと聞いて、正確な表現をしていくことが基本とも身に沁みます。先生のお話をそのまま聞けない状態は大きな問題であるとも甚くわかり、生き方を正して参ります。
先生が内に巣食っている闇を引っ張り出してくださっていることを体で感じています。今日は何度も貧血が起こりそうになりふらつきました。毎日内も外も浄め、10月1日に向かいます。天を祭る高句麗の祭りは身を浄め集い、天を祭るのです。9月になった時、自然のはたらきからお浄めへと導かれました。人やまわりのせいにせずに、内にあることを認め、浄める日々を生き、10月1日を迎えられますよう、尽くします。
ススキを見ている時、自然と涙があふれてきました。先生に出会った頃に先生からススキを見て生きる力を与えられたとのお話を伺った時のことは忘れることができません。自然の生命により生きることを教えられ、支えられ、助けられて生きていることに気づかせていただきました。今日は、毎日keikokoma.comにアップしています「詩と写真」の詩をススキの写真を見ながら書いている時、生きる力を与えられ、涙込み上げたのです。そして私たちの生命とつながり生きてくださっている先生の存在に涙しました。先生と繋がっているので何があっても生きていけるのです。何度もふらつきながらも無事に一日が終わり、ありがとうございます。
