「体が戻る」と「言葉が戻る」
「五月の詩会」を経験させて戴き、高麗屋さんの神聖な空間であるからこそ、自分のもっと奥の表現があると感じるのです。詩に書く言葉、読む言葉が何か表面を滑る様で、今の言葉が表現できません。自分の言葉は頭の中の過去の習った言葉、経過したことも対象化した言葉から発しているのを感じます。「雑魚の言葉は字余り多し」です。どうしたらいいかという気持ちでアントレプレヌールサロンに臨ませて戴きました。「嘘つき」とお聞きしてドキッとします。意図して嘘をついている訳ではなくても言葉が嘘なので、何かモヤモヤしてスッキリしないのです。「体は嘘をつけない。」「何が問題になっているかというと体なんです。」とのお言葉に、え〜!そうなんだ。と体のこととだとは思いもよらない状態です。高句麗伝説前の応用コースで「体が立つ」とお聞きした時は、何となくわかる様なわからない様なという私(たち)の状態を先生は絶えず考え続けてくださり、「何が戻る」というお言葉に表してくださり、さらに経験させて戴き感謝よりありません。「体が戻る」はこれからの核心。呼吸が深いなり鼓動がはっきりする。はっきりすると未来に向かえる。「体が戻る」と「言葉が戻る」と理論的に教えて戴き、ずーと先生を感じながらお話しをお聞きしていると、じわ〜と涙が滲みます。先生の存在がありがたくて、何のご縁かわかりませんがいつもいのちひとつにいてくださり、自律し生きれるようにしてくださる先生に感謝よりありません。嘘の言葉が体を傷つけることをどこかわかりながらもどうすることもできません。先生にお会いすると体が戻ってきます。さらに具体的に、きちんとした本を読んで理解したことを自分の言葉にすることということも教えて戴き実行します。「体が戻る」と「体が動く。」「体が動くと依存性がなくなる。」このことは自分の課題であります。「動く体」がなければ何もできない。「体を動かすんじゃないんだよ。」とおっしゃって頂き、体を動かそうとしていたことに気づかせて戴きました。やろうとしていることを一つ一つやり、乗り越えていくことを教えて戴き、これから単に関西と東京を往復するだけでなく、仕事になっていくように考えて自分の体が動くことをつくっていきます。アントレプレヌールサロンから今日のコンサートがあることが、新しい人生を生きるのに要であることを痛感します。
コンサート前には克哲さんの「食と健康」に参加させて戴きます。昨日のキッチンらぼでのお食事は暖かい家庭のお食事でした。美味しいとかいうことではない、生命の糧です。愛の経験をありがとうございます。本日も日々の生活に活かせるように勉強させて戴きます。
ありがとうございます。
