紫木蓮
山々から「さぁ いくぞ」っともう爽やかな五月の風が吹いて、山の家から東京に帰りました。
高麗恵子さんの心にとまった山に咲く紫木蓮。「懐かしい友に再会したように…」と書かれていて、私が紫木蓮ではないのに、とてもうれしかったです。小さい頃に春を待つ時間が大好きで、蕾のまま冬をこす木々に毎日会ってから通学しました。蕾がほころび、ほんの少し、持っている折り紙のなかにはない紫色の花びらがみえたとき、「あっ やった!」というほどうれしくて、目の前の景色を全部変えてしまうこの木はすごいとおもいました。花が咲く時間には、神さまがいるっとおもったのもこの時です。母から沢山ある風呂敷のうち、どれかあげるよと言われた時も、紫木蓮の正絹の風呂敷をえらびました。母は、「しぶい柄が好きなんだね」と笑って言ってました。あたしもお花みたく自分の時間で咲きたいと言ってました。けれど、あの日あんなにうれしかったのは、今 高麗恵子さんに「懐かしい友に再会したように…」」と表現された山の紫木蓮と高麗恵子さんが再会する日がくるからだったのかもしれません。
歴史の長い木、紫木蓮と歴史の長い方高麗恵子さん。出会わせていただいてる人生を考えます。