KEIKO KOMA Webサロン

ありがとうございます。


府中でのコンサートで、第一部のメッセージの後、先生の演奏に静かに耳を傾けていると、高麗さんの詩集「麗花」で笹舟の詩があったことが不意に思い出されて、驚きました。
手で作った笹舟を宇治川の流れに浮かべてその行方を眺めていると、やがて笹舟が川の流れにのまれて見えなくなり、人生のはかなさ、空しさを憶える・・・という内容でした。
また「小説 麗花」の心に深く残る場面も突然思い出されました。若草の君の姿がゆらゆら陽炎の様に揺れて、若草の君の姿に手をさしのべ涙を浮かべる姫君の姿です。

普段は忘れているようでも、或る時突然心に現れ出てくる高麗さんの詩や文章に、あらためて神秘と畏怖を感じました。

宇治川を流れゆく小さな笹舟と、若草の君に手をさしのべる姫君の姿をずっと心に感じながら、浮舟の心に寄り添うようにずっと先生の音をお聴きしていました。
最初は胸がしめつけられるように淋しくて悲しい気持ちがありましたが、どんどん変化していきました。
はかない笹舟が、だんだん大地に根を張る木のように変化していくので驚いていました。
大地に根を張りながら天に向かって枝葉を広げていく、たくましい大木へと変容していくすがたは、どこか縄文の女性と重なってきました。
淋しく悲しい姫君の心が、先生の演奏によってすべて受け入れられ、解放されていく瞬間瞬間は、まるで講座のようでした。
浮船の心に寄り添うことは、いつしか、わたし自身のことに、さらに女性そのものにまで広がっていました。枠のなかで決められたようにしか動けない、女性の悲しみ、苦しみ、空しさ、さびしさ・・・というものが、解放されて、本来の自由で強く美しい、縄文時代のような女性へと変容していくことは、個人を越えて、深い喜びと救われが心身の底から、生命の芽のようにぐいぐいと湧いて伸びていくようで、そのことが更に喜びを生んで、わたしの身体はどんどん温かくなり、大きな、大きな何かに包まれていきました。

第二部では、深い安堵と喜び、そしてどこまでも伸びていく強い大木の中にあって、先生の音を静かにお聴きしていました。
前の日の応用コースでお話のあったことを思い出し、細やかな音のひとつひとつまで一心にお聴きし続けていると、本当にたくさんの、いろんな種類の音が聞こえ始めました。
いつも公園を歩いている時に、鳥の声、虫の声、風の音、遠くの町のざわめき・・・などを一つに聴きながら歩いていく時の愉しみと重ね合わせながら、耳を澄ませ続けていると、先生の音の連なり、重なり、広がり、響き、は、自然よりももっともっと自然であり、自然を越えていると感じて驚き、感動しました。心身もとても深く豊かに耕されていく感じに満ち満ちていきました。
ふと自分の中に笑っている人、まあるい笑顔で微笑んでいる人がいる・・と感じて、「あなた誰?」と心に訊くと、「わたし」と答えました。
そんなわたしが居たのかと驚きながらも嬉しくなりました。いつも緊張や不安で自分を防御して固い表情や無表情が多く、笑顔は自分には遠いものに思いながら生きていました。何かに、誰かに、行方を阻まれたり定められる世界のなかで、ただ浮き船のように生きるしかなかった不安、悲しみ、やるせなさから、多くの女性が解放されて、強く美しく、本来の姿を取り戻して、自由に飛翔していく時を迎えた今、わたし自身も、自ら押し込めてきた、まあるい笑顔で微笑むわたしで生きていける時を迎えたんだ・・と、自分の喜びはたくさんの女性の喜びのように感じました。

東京高麗屋さんを高麗さんが創ってくださり、そこでの催しに継続して参加させていただくようになりました。
そのなかで、次第に心がうち解けるようになり、講座やコンサート会場でお会いして笑顔で挨拶をかわす方達も増えてまいりました。一瞬の挨拶と笑顔で、心がこれだけ温かくなるのかと心に滲み入ると同時に、今まで非人間的な自分の在り方でたくさんの人を傷つけてきたことを深くお詫びする気持ちでいます。
これ程の自分でも、今までずっとお付き合いいただいて生きて来れたことに心から感謝しまして、ほんとうに、コンサートメッセージにありました「ともに、始める」とのお言葉に深く頷く今です。

今日は、盛岡の応用コースをライブ配信ですが参加させていただきます。
10月の穏やかな秋晴れの日の恵みをまことにありがとうございます。


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盛岡にて
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