武蔵野の地にて
府中の森でのいだきしん先生のコンサートに参加するため、「出会いの一日」の後、一度大津に帰り仕事して再び東京に来ました。最近、自分の言葉の出どこに気づいてから、いろいろなことがわかってくることが嬉しいです。以前、三鷹の風のホールでのコンサートで第一部「玄牝」、第二部「光」というメッセージのコンサートがありました。「光」のコンサートのメッセージの中に「光とは闇が自らの中から生み出した内なる子であり闇の自己顕現、即ち愛の発露です。
光とは、闇を抱くことをおそれぬ魂にのみ生まれる理解の炎です。」このメッセージのプロセスを生きてると感じ、自らの「闇」と感じたことも、いだき講座を受講でき、先生のコンサートで経験できていることが、一歩一歩人間になっていってるのだと感じ、ありがたく嬉しいです。自分のことがわかってくると、今までと違い高麗さんの言葉の深さを感じる経験がありました。高麗さんの言葉の捉え方があまりにも小さなことに申し訳ない気持ちになりました。自分の枠で高麗さんの言葉を捉えていただけで、本当の高麗さんの言葉をわかっていなかったことが悲しかったです。高麗さんがこの世で「いだき」をずっとやってこられた事は、とてもまだまだ想像すらできないほどのことを乗り越えて、変えて来られたと感じます。どれほど人の痛み、悲しみ、切なさを受け止めながらも、先をつくることが答えと進んでこられたことは、朱蒙様を感じ大河を渡られた時の詩に感じられます。高麗さんのことが、そのままわかりたい。自分のフィルターを無くして本当のことをわかるようになりたい。人のことが、そのままわかりたいと感じます。フィルターを無くすのは日々の生きることでわかっていける機会があると感じますが、1番は先生のコンサート、講座に身を運ぶことです。コンサートでの愛の経験は、言葉の出どこを愛に変えてくれます。人から言って頂いた愛の言葉。「会えて嬉しかった」と「お帰りなさい」は、わたしに生きる力を与えてくださった最近の言葉です。ありがとうございます。
