「AIとの対話」に触れる
これからはAIを駆使して、新しいのちの可能性を追求していかねばならない、と先日、先生からから伺ったばかり。ちょうど大和郡山の知人から、「自己客観視の哲学」と、「自己の商品化・文学・お金と関係性を巡る対話」という二つの対話記録が送られてきた。紙媒体にプリントアウトしないと読めないのでは仕方がないと思いつつ、二つの長いやり取り(A4用紙で25枚)を読んでみた。意外に参考になり、考えが深まった。
AIの対応は、存在論の各哲学者の主旨を、みごとに整理してくれ、これなら難しい哲学書を読まずともいいか、と軽薄に思ってしまうのだった。ちょうど、いま、『本を読めなくなった人たち』という活字版れを報告する本を読んでいて、一か月に一冊も本を読まない20代は95%にもなると知って、あきれていたのだが、「本でなくとも必要なことはほかからに入る」という彼らの主張に同調したくもなった。そのくらい、キルケ―ゴールからハイディガー、ラカンやニーチェから道元まで、人間存在を客観的に記述しようとしてもがく哲学界のことがよくわかり、先日伺ったホワイトヘッドの「過程哲学」まで、ちゃんと説明している。
そのうえ、AIは、あくまで質問者に寄り添うような形で、代弁し、問題を整理してくるので感心した。決して批判したり、教導しないのである。まあ、それだけにちょっと物足りなく感じるところもあったが……。「存在」について語ることの矛盾と、言葉を越えた領域から、これを語ることの必要も感じた。さらに、言葉によってでも、詩歌や文学なら、あるいは、参加型の会話なら、「新しい存在」について語ることも可能だと考えた。
もう一つの「自己の商品化~」についても、資本主義の中で金銭に疎外されないで、自分の「こころ」を見失わず、生きていく課題について、考えさせられた。まず企業が、経済が活性化されないと、話にならないと、先生もおっしゃっておられたが、「売文業」や「投げ銭」ではなく、文学や表現行為、そして教育の新しい在り方を実践していかなければと思った。(8/30)
