KEIKO KOMA Webサロン

一連の催しをありがとうございました。


応用コースにて質問をさせて頂きました。狛江でのコンサート中に生まれた言葉は本心そのままであったので、実現したいと感じておりました。しかし、何をどう実行してよいのかわからず質問をさせて頂きました。そこで、先生の生後6か月に生まれた言葉のお話を伺い、正直その時はよく理解が出来ませんでした。その後のビデオ講演会にて、高麗さんが中東での惨事に現地にすぐにでも飛んでいきたい衝動があったけれども、実際には出来ることは日本での支援しかないと到った経緯のお話に、自分の言葉も助けたい衝動から生まれたものなのかと考えました。しかし結論があまり明確でないまま翌日のコンサートに座しました。第一部の「まだ名のないほうへ」、第二部の「生まれたほうへ」どちらも好きな感覚がありました。時々自分が何者だったか名前の漢字を手で引き戻すような感覚や「山」と名付けられた存在が山だけではない感覚、家族や人間関係のしがらみの全くない状態で命の向くままにいられたら楽だと感じることと重ねてアナウンスを拝聴しました。自分の中では質問をした言葉が在りましたが、ひたすら音に身を任せようと傾聴しました。演奏が進み、あるところで「高句麗」と浮かびました。私たちは高句麗で繋がった命だと身体の深いところで理解する瞬間がありました。古の高句麗ではなく、古の魂もともに在り、また敵味方も悲願の今の、そしてこれからの高句麗が顕れている感覚を覚えました。更にその中心は高麗さんであり、高麗さんから離れることは出来ないとも強く感じられました。質問をした言葉からは、志があれば離れていても繋がっていられると考えておりましたが、離れてはいけないと痛感しました。その後、アリランのような高句麗的な演奏となり、心の糸が震えるようで皆で一緒に必ず五女山へ行こうと生まれました。古の敵も味方もなく、皆一緒に行こうとあります。そして引き続き翌日の昨日は迎賓館コンサートでしたが、私の質問の言葉が意味することが解かれたようでした。全ての地球上の問題は私の問題であり、極端な話ですが、お隣の問題も私の問題くらいな感覚になり、私が世界中の問題を解決すると到りました。応用コースのオンデマンドを拝聴しましたが、「私は日本にいたらいけない」と言う言葉は先生の生後6か月に生まれた言葉に通じることかもしれないと理解に到っております。そして、昨夜は「高麗恵子語り」にも参加をさせて頂きました。お話の中での「永遠の世界」の探求をされたお話に、先人が「永遠」と言う言葉を生み出したのは実在の永遠の次元を表現するためと到り、言葉で今だ残っていることに嬉々としました。しかし、実際の言葉が生まれた経緯がわからないので今はもう少し掘り下げたいと感じているところです。此度は一人一人順番に表現をする機会となり、身体が喜ぶ美味しいお食事とともに豊かな時間を過ごさせて頂きました。
ありがとうございました。

田嶋利江子

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カフェ高麗屋にて
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NPO高麗 東北センターにて
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結工房の一日