KEIKO KOMA Webサロン

未来からの達人


「身体を置き去りにする」、「身体を取り戻す」、「身体を立ち上げる」という状態を詰めて考えていくとこの度の京都の応用コースで先生と質問者の会話の中で出てきた「達人」はとてもわかりやすいお話しでした。いだきしん先生が実際に出会われたご高齢の合気道!? の達人のお話は高句麗伝説を前に最初に先生が仰っていた「身体を立ち上げる」という表現に繋がりました。達人というと私は武蔵や世阿弥、千利休を思い起こします。西洋的には「超人」が浮かびます。存在論に限らず様々な講座に事あるごとに登場していたニーチェです。私自身は「いだきしん先生の存在論」、つまり「暮らしに生きる存在論、人生哲学」としてニーチェは意外と身近に感じてきました。

身体のことを全身全体的な捉え方ではなく手や足や臓器一つひとつを具体的に考え始めたのは先生が歩き方や姿勢について細やかに身体の使い方を教えてくださる時に紹介いただいた武蔵の「五輪書」からです。晩年の武蔵が熊本の霊岩洞で書いたものです。あの頃から5,6年は経ったと思いますが、私の内面ではその武蔵から最近の老子の「玄牝」に漸くジワジワと繋がってきました。続く「初恋」、あわい、・・、皮膚、肝臓、心臓、恋・・、内面からさらに内奥へと導いていただき、高麗さんもビデオ講演会で話されてましたが、先生がかつて仰った「人の心は宇宙より広い」に舞い戻りました。マケドニアの記者会見で先生が記者の質問に答えて言われたこの言葉はそれ以降、私には「いだきを最も的確に表す表現」として内面深くに刻まれていました。webサロンにも何か変化がある度に私はこの先生の表現を再三書き写すことで自分自身が内面の深いところへ、さらに内奥深くへ向かっていけるならばいつか「宇宙より広い世界、さらに宇宙の生まれる3段階前の世界」に行き着くはずと希望的観測を持っていました。現段階では遥か遠い、もしくは不可能かもという感じですが、粛々と向かうよりないこともわかっています。

中国から渡ってきた思想ですが、きっと日本文化によって新たなニュアンスになったと感じる「知行合一」というあり方。“知っていること”と“行うこと”は同時ということ、この言葉を発した王陽明は「致良知(ちりょうち)」ということを晩年に言っているのを発見しました。「良知」とは生まれながらに持つ良心や真実を感じる力です。身体を取り戻し、身体に従うことで行き着く真なる世界と感じます。さらに私の中ではここから続くのですが、「 冒険とは、安全を捨てることでも、危険をおかすことでもありません。世界がまだ決まっていない瞬間に、先に身体を差し出してしまうことです。」との先生のメッセージが「身体を取り戻す」という表現をお聞きした時からずっと身体の芯にあります。音、音楽、ことば、語り、対話、問い・・・、いだきしん先生はどの瞬間も全てが即興表現です。時間がないのです。

〜 日本の神々とは、人間・自然・音・場が分散する以前の「関係そのもの」をあらわします。起きてしまう出来事、判断する前に体が反応してしまう。意味づける前に場が変わってしまいます。生ませようとしない。教えようともしない。ただ生まれてしまう場をつくるのです。生む力そのものではなく、生まれてしまう「場」今日のテーマは、「神々」です。〜

      2026年1月28日 第1部コンサートメッセージ(ロームシアター京都)


起きてしまう出来事、生まれてしまう場に先に身を差し出すこと。とても難しいことと感じますが、コンサート、講座の一席に身を置くことこそはその経験の積み重ねとあらためて強く感じます。一席に座れない時もオンラインで繋がれる今の時代の有り難さを骨身に沁みて感じることになった本日ですが、ずーっと身体の奥深くにつかえていたものが少しでも表現できたことは未来からの一歩です。本日もよろしくお願い致します。

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