なくなっていた
ほんと 久々に先生コーヒーを淹れる今朝。一口ガブリと口に含み飲み干しすと、静けさ。山小屋の玄関ドアを開け木々を見ながらのコーヒータイム。鳩の鳴き声止む。遠くに聞こえる鳥のさえずりなどありながらの、静けさ。また一口 静けさ。また一口 生きていると感じる。木々の葉一枚一枚舞い揺れ出しウェーブ広がる。また一口 感謝になる。
二煎目に胸拓く。何も無い。壁無いと感じる。ない。ほんと ない。あまりの嬉しさに言葉ない。
昨夜のコンサートにて、すでになくなっていたのかとわかる今。
壁といえば随分前になるが、いだきコンサートでの体験は会場から出ると、普段の営み・日常との間に大きな壁ある感覚で分断されてると感じた。そのことを昨朝のコンサート前に思い出していた。このところ、コンサートなどいだきでの体験を、またその場にて気づかなくても、普段の営みの中で深め変わっていける。長年の強い思い込みは払拭され真逆の感覚だったのかと、心身楽になる起こりのあるあるから壁無く、新しい流れになっているとわかる昨朝。
ここまで書き込みし、壁をつくっていたのは自分かい?と突っ込みいれる。
ありがとうございます。