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「いのちのちから」を「いきるちから」へ


「新たな愛」についてずっと考えています。特にいだきしん先生が「『新たな愛』を希求します」と言われた意味です。メッセージを伺った8月9日のコンサートでは「新たな愛」と、これまでお聞きしていた「真の愛」や「新しい愛」との違いがよくわからなかったのです。特に「新しい愛」と「新たな愛」の違いです。

応用コースで少しわかりかけていたのですが、言葉にならないままでずっとお話に集中していました。講座終了後の帰路に「偶然の」新たな出会いがあり、その出会いから「新たな愛」の意味が紐解けていきました。「愛は幾重にも重なり、表層から次々と反応し交わり、次の層に反応し交わり一見愛の成長のような様相を呈します。」、この状態はもちろん先生ご自身のことと理解しますが、一層や二層のところでとどまっている私の状態とは全く違います。だからこそ「愛はとどまることはありません」でしょうし、「一見成長のような様相を呈します」、でもやはり愛は普遍なんだよと聞こえます、愛は「いのちのちから」です。

これまでに愛の経験は「これでもか、これでもか」と先生のフィールドにて山ほど経験させていただいているはずなのに、深まっていかない理由は先生が「新たな愛を希求します」と仰るのとは逆に自分は「希求していない」からでは?と行き着きます。先生とのフィールドを離れて自分自身の普段のフィールドにある時、実に狭い世界にとどまっていて、幾層どころか「深く交わらない表層の状態にある」ことに気づきます。「新たな出会い」や「深く交わる」ことがないと「新たな愛」の可能性を自ら閉じてしまっています。「いのちのちから」が「いきるちから」になっていかない理由です。

いだきしん先生が次々と反応し交わり続けることで「人類全体が未来に生きる内面」、「いきるちから」をあらわし融合していくことを示していただいているにも拘らず、一層や二層でとどまっている自分の在り方が問われているとわかります。それでも先生は次々とコンサートや講座の場を創り続けてくださいます。「新たな愛」のメッセージをお聞きした時に私には「アンナ・カレーニナ」との再会の機会がありましたが、はっきりと「これまでの愛」の限界を知り、その流れもあり、11日の応用コースの先生のお話で「新たな愛」がわかりかけました・・。ところがまだモヤモヤとしながら歩いていたところに偶然起こった「新たな出会い」によって紐解けていった巡りから、いだき講座を受け続け変化、成長している自己の状態を素直に認めれば、日々の暮らしにもう十分その機会はあり、「新たな愛」の広がりは自己の生き方で決まるとわかりました。常々先生に教えていただいていること、人間になるよりありません。

「『新たな愛』を希求します。」とメッセージを送っていただいた いだきしん先生の「世界を変える」生き方に共感していても自分自身の実践の方法に迷いがあったのですが、漸く霧が晴れました。いつも尊い経験の場をありがとうございます。

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