いのちの作家としての学び
オンラインで聴かせていただいてきた いだきしん先生の迎賓館コンサートとは全く違うピアノ空間があると想像はしていましたが、今日初めてお邪魔し最前列で聴かせていただき、想像を遥かに超える体感に圧倒的な落差を感じ取り驚きました。全く違いました。先生が弾かれるピアノの一音一音の音そのもののピチピチと生きて跳ねるような音質・音圧、身体に感じる波動、良い意味でのとても引き締まったホール空間などひとつ一つにびっくりでした。
幕間のお話でピアノの話をいっぱいして下さいました。迎賓館のピアノが先生しか使わないものであることで高品位、高質性が保てていると言うことでしょうか!? 、そのことは既存のホールに比べて調律師さんが格段に調律しやすい前提条件が揃っていることになること、またノンペダルとペダルを使っての音の違いなど演奏しながら教えていただくというピアノスペシャル講座でした。これらの全てのお話は決してピアノ演奏の手法やノウハウのことではなく、変化し続ける命の状態を如何に表現するかという芸術に向かい続ける作家のお話とお聞きしました。
応用講座でデジタルカメラが空気感や目に見えない存在の躍動を映せないとお聞きしたお話と通じる芸術論のようでした。特に書き込みについてのご指摘は自分自身が毎日悶々としていることだけに大変耳が痛いご指摘でした。作家が書くことに如何に格闘しているか、プロであろうが素人であろうが関係なく命の変化の状態、変化し続ける人間存在のことが常に新鮮に生き生きと書けないと (読んでる人の気持ちや状況が !? ) 動かないとのお話と私はお聞きしました。今回の集中修行は連続コンサート経験がメインとは思いますが、その経験を通して変化し続ける自分の命の状態を生き生きと言葉にしていく大変大事な修行をしていただいていると感じています。
言葉の表現の貧弱さが頭の限界をそのまま露呈して「頭から死に至る」という飛んでもない状況にある今の事態があり、先生ご本人が我々の状態を受けて昨日のお誕生日コンサート時に大変な状態だったこともお聞きし、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。自分の言葉で表現するということは若い頃から大変な課題の一つでしたが、今やっとこの大テーマにも切り込んでいける状況を先生に創っていただいていることが今日の迎賓館コンサートで理解できました。大変ありがたい一日でした。いつもありがとうございます。