KEIKO KOMA Webサロン

4月23日


昨日はある受講生のご紹介で、更生活動をされている会の講演会に行って参りました。会場は仏教系の大学で講演者は「保護司」をされている僧侶の方で、情熱のある方でしたが、やはり説法のようになってしまうのは職業上の性かと思われました。ある小学校でも指導員のようなことをされていらっしゃり、ある雨の日のトラブルをお話し下さいました。ある生徒が、持ってきた傘をさして帰ろうとした処、別のクラスメートがさして行ってしまっており、また別な子が捕まえて引き戻ってきたらしいのですが、「とった」側と「とられた」側が口論となっていたそうです。「とった」側は「借りて明日返すつもりだった」という言い分です。そこで演者から会場へ問いかけがあり、「借りた」と思われる方、「盗った」と思われる方と問われ、私は「借りた」に手を上げました。何故なら、本人がそう言っているからです。本人の言葉を否定して「盗った」と言うのは「裁き」に感じられもし、何よりも大事なのは、人の心を傷つけたことに心から「ごめんなさい」と言ってもらえ、わかってもらえることと捉えたからでした。ですが、演者は「盗ったのです」と語彙を強め、3分の1くらいはそちらに手を上げておられました。今振り返りますと、会場でこの判断に疑問を持たれた方もおられたのではないかと考えます。しかし、以前であれば、自分も「わからない」もしくは「盗った」と思考が働いていたかもしれません。今回は、自分の中では成長をしていると実感がされることでもありました。長らくコンサート、催しに参加させて頂き、沢山「愛」を体感できたお陰ととらえました。主催者の方は被害者遺族の方で、その心痛は自分にはよくわかることです。昨日は色々な方に対応されていらっしゃり、お声掛けをしませんでしたので、お手紙を書かせて頂きます。
ありがとうございます。

田嶋利江子

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宮城県の方が、宮城から運んでくださいました
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新宿文化センター 大ホールにて
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自然