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3月3日を終え


先週火曜日いつもの子供の送迎をしました。その日は幼稚園バスから降りるのを嫌がり、死霊生霊が剥がれる過程で、その霊か何かが浮き彫りとなった姿が見えているのだと、半ば申し訳なく、しかし仕方なく降りてもらいました。降りると切り替えの早い子どもなので、すぐに手を繋ぎ好きな道を歩き始め、途中ベンチに座ったりとしました。何が怖かったのかと尋ねた所、先月始めの節分の豆まきの仕草をしてその時の様子を思い出しているようでした。やはり賢い子どもだと改めて感じました。「鬼」は能面の「般若」と「やまんばおゆき」をその時連想しました。理不尽な悲劇を被り、身を引き裂かれる悲しみに打ちのめされ、それを嘆き、そこから憤怒、恨みと化した女のサガの末路と感じました。昨日のコンサートで印象に残るのは、炎を連想する激しい演奏です。そこから、炎上し始めた本丸天守閣での最期まで城を守ろうとする女の人たちを想像しました。裏切りか密告により攻め入られている様子を想像しておりました。次に白い龍が何か黒い下劣なものにしがみつかれ、それを振り落とそうと身をよじり飛ぶ様子が浮かびました。怒り狂った龍はそれをかみ殺そうとするのですが、その身が汚くも「クナイ」を刺されしがみつかれていることに気づき、その内力尽きて奈落に落ちていきました。再び生き返り自由に大空を飛翔させたいと集中して聴いておりました。

大ジェンダーをめぐってでは、キリスト教の性が不浄である教えが刷り込まれたヨーロッパから日本も影響を受けていることを伺いましたが、自分の周りでは母がキリスト教の学校で成長したことを想いだしました。自分が小学校一年生の時に母が母校を訪ねた際、そこの礼拝堂の壁の彫刻から初めてイエス様のことを知ったことを覚えております。「清楚」が言いつけを守り、正しく美しいことと印象を受けたのもこの頃と考えます。母は犠牲的精神が身についているところがありましたが、キリスト教に直接接していない自分もやはり影響は受けていたと改めて実感をするところです。性は「どうでもいい」と感じることが上記により刷り込まれていることかもしれないと驚きでありました。自分ではどこか年齢的なもので精神的成長くらいに考えておりましたが、ホルモンとも関係しているとのことでそれは納得するところです。しかし、やはり自分には面倒くさいと感じているのは否めませんし、若くもなく、ジェンダーでの問題はどこか他人事であるのは正直なところです。

すみません。

田嶋利江子

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みなさん会うときを愉しみにしています。ロシア語では愉しみにしている、と、言う表現はないそうですが?
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三鷹市公会堂 光のホールにて
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美しい花