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27年目の震災記念日「忘」を巡って


昨日書くべきが、どうにも落ち込んでいて、今日になりました。

神戸市の東遊園地で、午前5時16分、震災を忘れないとの思いを込めて「忘 1・17」の形に並べられた灯篭の前で、参加者が黙とうした。と新聞は報道していた。

わたしは違和感を感じる。「忘」は、「忘れる」であって、「忘れない」とは読めないからだ。どうしても「忘れないという思いを込めて」にしたい意図を勘ぐってしまう。あの筆舌に堪えない「悲しみ」や「苦労」を、ちゃんと記憶にとどめておくべきなら、きちんと「忘れず」にすればいいではないか。わたしなどは、忘れたくとも忘れられない。あの日の「絶望」と、その反対の新生への「希求」とを!ただ、その複層的な思いを簡単に人に語ることはできない。そのことよりも、戦争の悲惨さも、水俣の記憶も、沖縄の問題も、すぐに忘れてしまって、ただ「新自由主義的経済の興隆」だけが復興のように思ってしまう軽薄さが問題であって、まるで阪神淡路大震災のことも、早く忘れさせたいから「忘」にしたのではないかと皮肉りたくなってしまう。

震災よりも、わたしは「コロナ禍」の方が喫緊の問題だ。一昨年に比べ、塾生も塾収も三分の一に減ってしまい、塾存続の危機だからだ。昨夜も、大破壊が起こって、塾も家もだめになっておろおろするばかりの夢を見た。一夜明けて、「いや、まだ生きている。塾も潰れていない。」とつぶやき、収入ゼロになってもやれる方法がないかと思った。1/13の「高句麗伝説」を繰り返し視聴し、大きな変革期であり、世の中変わったのだから、何か新しい方法が見つかるはずだし、思わず朗報にも接するはずだと決めて、いまできること(教材の制作、発信力の充実、そして読書)をやっていくまでと思った。震災のことよりも、いまのことで頭がいっぱいだ。その意味では、「忘」でいいのかも。

 

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