KEIKO KOMA Webサロン

真夜中の回想から今ここに


部屋では植物がよく育つようになって、火鉢で飼っているメダカ達や、ドラゴンちゃんと呼んでいるオレンジ色のドジョウがとても元気で、たまに凄いスピードで泳ぎ回るのが可愛いです。

知りたい事があって、それについては自分で体験しない限り答えは出ないと分かっていたので、ずっと探究して来たことが、先日の先生のコンサートのメッセージで「しなやかさの芯は神の神(しん)でもあります。神と共にあるしなやかな生命ほど強いものはありません」というところで確信を得られ、とても嬉しかったです。

今は里親募集に出ていた一匹の不思議な瞳の子犬のことを考えています。一緒に暮らせ、活動できるといいのですが、まだ分かりません。昨年から動物たちとまったく新しいレベルの信頼関係を気付く方法を学んでいますが、そのことは、自分が今まで探究して来たこととイコールでした。すべてが欠けることなく、丸、円になってゆくのが不思議で面白いです。やりかけて諦めていた事や好きなのに途中で止めてしまっていた事に対する情熱がまた甦って来る今日この頃です。

木曜日は半日泣いていました。私のフラワーエッセンスの先生の娘さんの姿を動画で観て、今は亡きお母様そっくりの美しい瞳に涙が止まらず、その後に観た動画では、私も師から習ったネイティヴアメリカンのその歌を、娘さんがハープを鳴らしながら歌われ、号泣してしまい、それからは涙止まらず、なぜ泣いているとも分からないでずっと泣いていていましたら、いろんな事が分かって来ました。木曜日はそんな一日でした。

小さい頃に眠る時、真っ暗な部屋の空間に浮かび上がって来たヴィジョンの中に赤い肌で長い黒髪を振り乱して太鼓を叩いている人が居たのですが、その時は浮かび上がる姿が怖かっただけだったのですが、だんだんと成長するうちに自分が見たのはネイティヴ・アメリカンの男性で焚き火に照らされて太鼓を叩いていたのだと分かって来ました。

その頃はそういうものがはっきりと見えていたのですが、その頃見ていたものは現実化したり、意味が分かってきたりします。また、その頃、毎晩眠る時に見ていたもので夥しい数のいろんな種類の色もとりどりの光の花々が舞うというのがあり、その鮮やかな幻を見るのはいつも不思議な気持ちがしました。本当に綺麗だったのと凄い数舞っていたのとその流れる動きも速くて、それぞれの花のチームがすれ違い、混ざり合い、溶け合うので、その激しくも美しい流れの洪水には酔いそうになりました。

その後数年で、それらのヴィジョンはまったく見えなくなったのですが、最近、もっと薄い色で、もっと小規模ではありますが、光の花々の舞はだんだんと元のように見え始めています。母もまた子供の頃、枕に顔を押し付けると暗闇に大きな紫の光の花が浮かび上がり、綺麗だなと思ってよく見ていたという事を数年前に初めて聞きました。

母や母方の祖母は岩や木や花などすべての万物に神が宿るという考えを根底に持っていたので、子供の頃、私はイエス・キリストに会いたくて自分で教会に行きましたが、そこで宗教観念という物に出会い、恐ろしくなった時、母の言葉の力強い一撃で植え付けられかけた幻想は壊され、教会とキリストはまったく別という自分のうちにずっとあった答えに力づけが得られたのでした。

人と違うという罪悪感も道を踏み外しているのではないかという恐怖も私の人生には絶えずあり続けましたが、先生の講座やコンサートで変えて頂き、答えを見出すにつれ、それらは遠のいてゆき、この2月にはその残像まで消えてゆきました。

この世で肉体を纏うという事は、生きたまま棺桶に入れられ運ばれるヴィジョンとして幼児期に熱に浮かされるたびに見、体感しました。それと一緒にいつも見たのは真っ白などこまでも終わりのない部屋のような空間にグランドピアノが一台だけ置いてあるヴィジョンです。そのピアノの下には空気のような透明の水の層があり、私は仰向けに寝たままその不思議な水の優しい流れに運ばれて、ピアノを下から見上げながら進みます。同時に熱に浮かされ節の模様のある天井の木の板を見上げてひとり寝ている部屋にも居るのでした。それが何なのかは長い間さっぱり分からなかったけれど、今となれば本当によく分かります。

そして私は「今」「ここ」にいます。

すると、すーっと「私」という意識が遠のいて、この世界とまた、ひとつになりました。

 

 

 

 

 

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