齢(よわい)・弱い・世迷い言
齢(よわい)・弱い・世迷い言
昨日、虫歯を抜いた。去年の春、別の歯医者に、「もう抜くしかない。」と言われ、それから通院せず、歯磨きだけ励行して、過ごしてきたのだったが、先日詰め物が取れたので、仕方なく別の歯医者に診てもらいに行く。あらためて、レントゲンの画像を見て、自分の歯がもうボロボロになってしまっているのに、ショックを受ける。「これでは到底長生きできない。」と、すっかり弱気になり、「応急処置は可能だが、抜くことをお勧めします。」と優しく言われ、抜歯を承知したのだった。重病人のような気持ちが残る。
「齢」だけでなく、「年齢」を理由に、三つの学校からも出向を断られたので、これまた「4月からの収入減をどうしたらいいだろう。」と、すっかり弱気になってしまう。なぜ60歳台ならよくて、80歳は面接もせずだめになるのか。経験も能力も意欲もまるで顧みられないで、書類だけで判断してしまうなんて、学校のやることか。高齢者にも働く機会を増やすべし、というのが社会的動向ではないのか。――だんだん腹立たしくもなってきて、気持ちが荒さむ。老齢の悲しみを噛みしめる。
しかし、気持ちは意外に明るくもある。もう半分の自分は意外にしたたかでしなやかなのだ。今日も高校山岳部最後の山行に付き添うが、雪まじりの冷たい雨と強風の生駒山中、先頭を切って、鼻歌を歌いながら歩いていた。時々、春の陽光も射し、急坂もなんのその。「嘆いていても、どうにもならぬ。どうであれ、前向きに生きていくしかない!」と、開き直るのにちょうどよい山歩きだった。(もっとも、山行自体は途中までだったが……。)きっと事態はどんどん変わるだろうし、どんな良いことが起こるかわからないのだから、“なげき”より“げんき”の森を行くべしと。明後日には講座あり、その次にはコンサートもある。「強い・勁い・寿詞(よごと)」を得たいもの!