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高麗恵子さんとの出会い②


「こんにちは」

昭和を象徴する二階建てのアパートの鉄階段を登り、ようやく辿り着いたドアを開けると真正面にすうっと座しておられる「斎藤さん」がおられた。白いズボンに白いシャツ。今でも忘れられない衝撃的な出会いです。其処にはすでに何人かいらしたのですが「高麗恵子さん」は一目でわかりました。大人になってもこんなに透明で美しく生きられるものかと瞬時に真の希望を感じたのです。そして私が私になれる場所をみつけた安堵感でいっぱいでした。自主健康開発講座と聞いていたので自分の中身が開発されるところへ行けると意気揚々と伺った。説明会もなければノートも持たずで当時の記録は全くない。しかしよく覚えていることは幾つかあり、その一つは次の通りです。
「胎児期7ヶ月の時にお父さんが右の手をお母さんが左の足をひっぱっています」
当時は高麗さんが見えることをそのままお話して下さった。胎児期におこった出来事が今日の性格として頑なにある状態であることは瞬時にわかった。何故なら私の両親はとても良い人で子を大切に育てていたが、大事な決断を迫られるとき、必ず両親の意見が分かれ自分で決めることがとても辛かった。両親のことに限らず私には延々と「板挟み」の状態が繰り返し起こっていて「自分で決める」ということがわからなくなっていたのです。高麗さんは次々と私のことを話して下さったので後日私は紹介者に聞いた。「何か私のことを話していたの?」「ぜーんぜん。高麗さんは人並みはずれた感受性を持っているので何でもわかるし見えるんだよ」。私は霊能者と呼ばれる人も幾人か知っていたが、比べるのも申し訳ないほど高麗さんも斎藤さんもまったく次元の違う方々であることを全身でわかりました。
もちろん、講座受講と同時に私の性格はみるみるうちに変わり、狭いカプセルの中で閉じこもっていたような人生が一変しました。カプセルから脱出どころか無限な世界への旅がはじまったのです。

感受性が良すぎて生きられない子供がいることは知っていた。中学の同級生に世界的有名企業の創設者一族がいて、彼の弟は8歳で亡くなった。頭脳明晰スポーツ万能。抗がん剤治療でたいへんな中でも周りの子供たちの世話をずうっとしていた。「なぜ、あんな天使のような子が早く死んでしまうのか」当時からの疑問は斎藤さんが話して下さる探究の中身によりすべて納得ができると同時に涙が溢れてとまらなかった。私は祖母が新興宗教の幹部で家が集会場でしたので宗教をよく知っています。祖母の反対を退け通わされた天理教の保育園でもとてもかわいがっていただいていました。高麗恵子さんが召霊して下さったりすることを宗教とか怪しいなどとは微塵にも感じませんでした。そればかりかほんの3、4年前に余命2ヶ月を宣告されたお身体であったことや、人の状態や空間に蠢く意識を受け、倒れてしまわれる御体質であることは信じる信じないの次元ではなく、すぐにわかりました。

それにしても美しい。。
しかもチャーミングで繊細なのにカッコイイ!

「私は高麗さんみたいになりたいです」
と言うと斎藤さんは一言

「なれません」

とおっしゃりショックを受けた。
その素晴らしい意味をわかるのに随分長い年月が必要だったのです。。

 

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