KEIKO KOMA Webサロン

高句麗伝説にて。


いだきしん先生、高麗恵子様、スタッフの皆様、この度もすばらしいステージを経験させて頂きまして、ありがとうございます。数日たちましても、表現したいことが溢れてきます。
先生、高麗様がご登場されるお姿に、自分の内に歓喜の声が広がりました。高麗様、当日までにたくさんのメッセージをありがとうございます。高句麗の御姫様ののお話は、文字で拝読させて頂く機会がありましたことは大変に有難く、涙が溢れて仕方ないです。 高句麗伝説の中で、子を守るため遠くへ逃がす王様の母上様のお話にも、毎回胸が締め付けられます。そして言葉が正確ではないかもしれませんが、女が安心して子を産み育てられる世を願う・・のお話も体中に響いてきます。
今回、高句麗伝説の数日前から、毎夜夢に母が出てきたのです。言葉は交わしませんが、黙って私を心配そうに見つめ立っていたり、怖い顔をしていたり、穏やかな表情の夜もありました。勝手に私が登場させている事ですが、やはり高句麗伝説では、母のことを深く感じていました。
だいぶ前に母との関係を、先生に質問させていただきました。「お母さんは、忘れなければ生きてゆけない事もあるんだよ。あなたがわかってあげなさい。」と教えて戴いたことがありました。母をわかるってどうしたら良いのだろうと、常に考えます。母と一緒に過ごせるときは、「おいしいね。」であったり、笑ったり、「きれいだね。」「かわいいね。」と心から共に経験できる時は、母との距離がとても近くなったように感じます。

最近、母は語ってくれました。父と出会う前に、お付き合いしていた「あの人」の話を、私にだけするようになりました。離れた部屋で寝ている父を見計らい話すのです。とても好きだった、一緒に生きたい人だったと。90歳になりますが少女のように顔を赤らめ、はにかみながら。時々は涙を浮かべながら。すぐにお別れしたそうですが、何十年も想い続け「あの人」と出会った事は誇りでもあるとさえ語るのです。お別れして、いつの間にか「あの人」は、逝ってしまったと泣いていました。高句麗の御姫様のお話を伺い、母も風に乗せてくる「あの人」のメッセージを受け取って、支えに生きてきたのでしょうか。

父や母は、それぞれに両親が開拓移民として沖縄から南洋の小さな島々に渡り、そこで生まれました。物がなく不自由であっても、とても楽しかったと話します。戦争が激しくなり、幼い頃いのちを落とす寸前をも経験し、何とか故郷沖縄に家族で逃げては来たけれど、苦しかったと話します。父や母には仲良く長生きして欲しいです。父や母が生きのびてくれて、「あの人」も戦禍をくぐり抜け生き、母と出会ってくれて。

父や母や「あの人」を考えると、私は切なくもなりながら、静かに深く感謝の気持ちが広がる、高句麗伝説の経験でした。いだき講座を受講させていだだけなかったら、私は、恨みのままに哀しいばかりであり、既にこの世にいなかった様にも思います。この世にて、まだ会えることのできる父や母に、精一杯尽くします。

ありがとうございます。

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