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音読の意義


話題の映画『ドライブ・マイ・カー』を見てきた。村上春樹の原作の方を読んで安心していたら、知人たちは映画が先だった。短編をいくつか組み合わせ、みごとなドラマに仕上げていて、さすがだと思ったが、北海道や広島、果ては韓国までロケし、ベッドシーンや聾啞者との交流、親子の確執と問題山積で、わたしにはついていけない部分があった。

ただ、いまわたしは、「音読」の意義を重視してレッスンを展開することが多いが、それについて、新しい視野を持てたことがよかった。作中、何度も繰り返されるチェーホフの『ワーニャ伯父』、しかも、日本語、英語、韓国語、手話の四つの言語をそのまま音読していくシーン。演出家が「もっと自分に専念して、台本をただ読み上げればいいのだ。」「そうすれば、なにかが分かってくるはず、見えてくるはず。」「演劇とは、舞台と観客の間で、そうして立ち上がってくる何かを共有することだ。」と言い切る点で、あらためて音読の可能性に気が付いた。もっと自分に専念して、ただ他者のセリフを読み上げていく、その過程こそ人間存在の闇や光に至る道、という風にわかった。「音読は自分チューニング」と、いままで語ってきたが、他者との共存の支えなのかもしれない。

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成田空港にて