KEIKO KOMA Webサロン

銀河鉄道の車内


昨日のコンサートの経験があり、今日の先生の講座にて、メッセージの意味がよくわかり、うれしくて、内から笑いがこみ上げてきます。「目的地はありません。そうでありながら。これ以上安定したところはありません。この世の多様性、あるいは多様な価値など、まったくありません。ただ、各々、生死を超えてあるだけです」とのメッセージは心にありながら、どのように表現してよいかとわからずにいましたので、今日の「死について」にて「生死を超え」のお話をうかがい、わかることができましたことが大変うれしいです。コンサートが終わった夜、しばらく夜空を仰ぎ、ノートとペンを持ち、生まれるままに言葉を書き出しました。「深淵なる愛」を経験してから、人生を考える捉え方が変わりました。生まれるままを言葉にした時、「おおいなる存在と共にある生命」と記しました。生命の状態を言葉にするならこの言葉よりありませんでした。その時、生きても死んでもおおいなる存在と共に在るのだからと安堵したのです。死を恐れることもなく、死に向かい生きることもないとわかり、安堵し、これからを生きる生き方が決まったのです。「死について」の時に先生は生きることも死ぬことも同じとおっしゃいました。死んだら先生のところに来るからとの表現に、「おおいなる存在と共にある生命」と記した状態こそ、生死を超えた状態とわかりました。「病」についても生死を超えた状態で考えました。世俗で生きないこととはすぐにわかります。銀河鉄道の車内のメッセージは昨日が初めてと応用コースの時にお話をうかがい、これからはずっと銀河鉄道の車内にいるように「生死を超え」生きていけばいいとわかります。新しい時代を生きていくのは、これよりないとは日々身に染み感じています。ところが恥ずかしながら、過去を引きずり生きていることを質問させていただいた瞬間に気づきました。今まで質問させていただいた時、質問する時は頭がおかしい時と質問後に気づき、頭のおかしさを露呈し、尊い講座の時間を自分の頭のおかしさの為に使ってしまいましたことを心から申し訳なく感じます。ご質問者と先生のやりとりをお聞きしている時、なかなか先生のお話が理解できずにいる時はひとつのことに囚われている頭の中に一緒にいるように感じ、苦痛を感じます。自分も質問する時は部分頭である時と今日も気づきました。「深淵なる愛」は生まれてからとか出会ってからではなくはじめから在るとのお話は大変よく理解でき、心がときめいてなりませんでした。ずっと前から知り合いのような方にはよくお会いします。東北では昔からの親戚のような方が多いのですが、西日本ではなかなかそのような出会いはなかった過去の経験がありましたので、乗り越えたい気持ちで質問させていただいたのですが、銀河鉄道の車内では人との境もなく、何もないのです。苦手と感じるのは過去の経験によるものです。質問させていただき、銀河鉄道に乗車していながら過去の頭であったことに気づき、そのあまりのおかしさに笑いが込みあげます。先生は「地域のことをわかること」とおっしゃいました。過去は地域のことをわかるとはまる頭でした。生死を超え生きる今、これからの行商にて地域のことをわかる頭となり、動くことが楽しみとなりました。その後は、楽しくて心がときめいてなりませんでした。頭が解放されると楽しいばかりです。「深淵なる愛」に生きることが人間の人生とわかると、心がときめいてなりません。エチオピア「天命」コンサートの時、第一音を聴いた瞬間、「私はこの音を生まれる前から知っている」と確かな感覚がありました。生まれる前から天命を知る生命とわかりました。マケドニアで風に揺れると、銀色に輝く木の葉を見た時もはるか彼方の時からここに来ることは知っていたと詩に書きました。なつかしく、故郷に帰ったようでした。「深淵なる愛」で生きる人生こそが人間の真の人生とわかりました。ここには書き尽くせませんが、「深淵なる愛」を経験し、銀河鉄道の車内にいるようにし日々生き、「行商から一兆円へ」への歩みが大変楽しみです。素晴らしい講座の経験をありがとうございます。

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