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金でもあり心でもある


いだき先生、高麗さん、ありがとうございます。

「お金はあるよ」これが、特定の人から聞くと「愛はあるよ」に聞こえることに気付かされました。

「金でもあり心でもある」
「金は目で見える」
「心は目で見えない」
「本当の心があるのか、ただ金だけなのかは、金で分かる」
この言葉と、真剣に向き合いました。

私自身の為に(見栄、自己満足で)差し出したお金やプレゼントは、不具合が起こったり、貰って貰えなかったりしてきました。

本当に相手の為に差し出したお金やプレゼントは、快く受け入れられ、喜んでくれました。

命、愛の世界でいうお金は、
人の命の為のお金

世俗、対象の世界でいうお金は、
自分の欲の為のお金

こう捉えると、私が今まで稼いできたお金が、間違いなく「命、愛の世界でいうお金」であったことが分かります。

だからこそ、
そのお金で買ったものを、相手の為に使う行為には滞りが無く、自然で、

そうであったとしても、
自分の欲の為に使う行為には、不具合が発生するのだと、
そのように認識することが出来ました。

例えば
ルイヴィトンのバッグは、人の命を救ったことがあり、職人の魂が籠った非常に印象が良いものであるという側面が、私は好きで、ルイヴィトンが好きです。
その一方で、持っているだけで人から羨望を集める、ブランド品という側面を持ってます。

日本語は、読み方が同じで漢字が違う同音異義語(恥と把持とか)という概念がある一方で、同じ読み方と文字列でも、違う意味で使われる言葉があるようです。

これまで経験してきた「お金」に載っているエネルギーが嫌で、「お金」そのものを嫌ってきた人が居たとすると、

その人は、自分の命を保ってくれた「お金」や、命を救ってくれたり、報われる人生にしてくれた「お金」、その捉え方に矛盾や憤りを感じてしまっている、そんなことが有るのかもしれないと、そのように考え至りました。

「お金」という言葉を「命、愛の世界」で捉えるか、「世俗、対象の世界」で捉えるかで、載ってくるエネルギーが違うのだということを、そのことを分かりたい人に、一生懸命、真剣に、相手の為に伝えていきたい。
私はこんなことを思い至りたかったのだと、分かることがありました。

「お金に関する人の不安を取り除く」が私の今生での役割の1つかもしれない、そのように感じてきております。これが理念に繋がるかもしれません。
(人には、自分も含む)

3月20日「ジェンダーをめぐって」3限目
7人目の質問者と、いだき先生、高麗さん、皆さまと環境と状況と、友人に感謝です。

ありがとうございます。

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御所南 京都高麗屋にて
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深愛 第四弾