講座の後で
その場にいるだけで満足し、とくに質問や声を上げることもしないで清聴している――これは、やはりある種無責任であるし、失礼なことでもある。ほんとうは何もわかっていないのに、その分からないことをうまく言語化できないでいる。あるいは、沈黙に逃げ込んでいる。いや、いくらでも言い訳はできるけれど、肝心の自分の生に対して正対してないからではないか。
そんなことを応用講座で思っていて、戦争が勃発し、子どもが殺害され、世界が大混乱している状況を憂慮するばかりで、自分の生き方とうまく絡めえないもどかしさの中にいた。そして、存在論の最後の方で、(今日は満席で、あとの後援会の席はないであろうと)勝手に帰る用意をしてしまっていた。先生に咎められ、これこそ戦争を仕掛ける側のやり方、身勝手な判断で、失礼を顧みず、行動してしまう、その愚に顔を赤らめてしまった。学校の授業中生徒がそんなことしたら、と言われるまでもなく、申し訳ないことであった。ごめんなさい。
でも、先生の優しいフォローに感激した。「皮膚」と「頭髪」とがつながってはいるが、別に考えねばならないこと。「禿頭」であろうとなかろうと、生きるスタイルをまず考えるべきであること、イタリア人のファッション感覚に見習い、見てくれを美しく保つこと、自分のお気に入りの姿で暮らすことの大切さを教示してくださった。
最後まで黙っているわたしに声をかけてくれ、発言を促してくれ、優しい言葉を下さった先生の心に大感謝。明日また出直します。(3/1)
