講座に行く前に
「存在論」の前に
ウィトゲンシュタインは、「思考の主体としての私の存在は思考しえない、語り得ない。」と言い(古田哲也の解説)、アーレントは、「生命としての人間は匿名的な存在」と考えていたらしい。(戸谷洋志の解説)――とすると、「存在を表す」とはどういうことのなるのだろうか。ハイディがーは、常に自分を取り囲むものとの関係性の中で存在を捉えるべし、と洞察していたようだが、なら、かけがえのない、たった一つの自分の命は、やはり語り得ないことになるのだろうか。
「肝臓・心臓・皮膚」の三つから、自分の内側を変容していくプロセスをていじされた、先日のコンサートメッセージとの整合性を考えたい。
「応用講座」の前に
先日、ほとんど出向が決まっていた高校の話がダメになった。22歳の新卒女性に負けたのだ。今読んでいる『素浪人稼業』(藤井邦夫)の主人公の気持ちと重なる。元禄時代も今も息苦しいのか。
「高齢になると年齢を聞いただけで仕事がなくなる。」有能な経歴や学歴があっても、かえってそれが邪魔し、ITに弱いことを指摘され、認知症を心配されて、再就職どころか、ジムにも断られるとか。そんな話が毎日新聞(4/19)に載っていた。(海原純子、新・心のサプリ」高齢者の能力を生かす道は閉ざされていると。
年齢なんか関係ない、ことを確信にしたい。いだきの講座なり、コンサートなりにいるだけで、体は若返り、自分の能力が再生する実感は、だれもが体験していることと思うが、今日、これからそれが舞っている! とても楽しみだ。
