KEIKO KOMA Webサロン

課題


MMTなど少し知っただけでも、こんなに世の中間違っていたなんて驚きます。前提がそもそも違うなら根本的な悩みは本来なにもないというか。そして国の財政、地方財政についてわずかですが学ぶうちに、共同体って嫌だけどみんなで生きていくためには必要なものだから、人々との付き合い方とか自分は何が出来るのか、どういう人間で何を実現するのか、とかを考えて、接していかないといけないものなんだなとも考え直しました。自分の各共同体との関わり方は課題だなと。「いやだ、もう行きたくない」とか「疎外感しかない」とか、どこの団体や共同体に関わっても感じます。苦しいんですが、どこでもそうで共通しているので、何か私の側に気付くべき未熟な在り方があり、今変わるべきときであると認識しています。

アントレプレヌールサロンでは仕事のやり方を教えて下さってありがとうございました。疎外感(ときに不安も伴う)に苦しみなかなか仕事に着手できない時間は無駄で、早く乗り越えていくよりありません。エイリネーションはつらいです。何かしら自分で自分を認められない幼児性がそうさせているんでしょうね。

話し合いや関わり合いで何が嫌かというと、自分の投影で反応して怒り出す人がいることが嫌です。怒りのエネルギーで相手は固まり動けなくなるのに、まるで相手が悪いかのように自らへ向けた嫌悪のエネルギーを怒りへと変えて周囲へまき散らします。それをそうとわかれば無視で良いんですが、うまく罪悪感や恐怖で動けなくなるツボを突いてくるものなので。これを浴びてしまうと痺れたようになり、立ち直るまで数日かかってしまいます。うっかり反応しないこと、事故のように関わってしまった場合は、反省はしても自分を責めないこと。能力上げることですね。

どうしても自分の美談のストーリーに周囲を巻き込みたくて、色々な面があるのが人間なのに、「相手はこういう人」と決めてしまいたくなることがありました。それがまたややこしく絡まり合って、勝手に相手を「良い人」にしてしまいたくなるのです。相手をそのまま受け入れていないという問題と、「良い面を見なさい」という教育を歪んで吸収した問題と、併発しています。これが発病するときは、大抵自分の中に憎悪ともいえるほどの「粗雑に扱われた」と感じた等の怒りを隠しています。怒りがあればあるほど「良い面を見る」のです。結果相手も自分もそのままには受け入れないことになります。

やっと言葉になりましたけどこれまで、「良いこと」くらいに思ってやっていたこの歪んだ「かなりの余計なお世話」の癖をやらなくなるだけでだいぶまともになる気がします。自分の受けた感じ方を殺していることにもなりますし、、、ああ、これが疎外感の理由だったかもしれません。自分の感じ方や違和感を認めて受け入れないことが。なんとかかんとか一生懸命「素晴らしいものだ(人だ)」と思おうとしている自分に気付かないなんて恐ろしい。全然そのまま見ていない。仲間はずれを過度に恐れるため、違和感や悪いところは見ないようにしてしまう。

このあたりの気付きくらいはノートに書いて、さらなる発展をこちらのweb salonに書かせていただくのが2021年の目標です。

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