KEIKO KOMA Webサロン

蘇る本音


三鷹市公会堂のホールの豊かさをビデオ講演会配信録画で何度かお聞きし、二日目は演奏が始まる前にホールの天井を見ましたら、構造の緻密でありながら美しい空間に圧倒されました。一部は遅れて20分後に席につきました。後から一部のメッセージは「超越記憶」であることを知ります。今までの人生で何度今までの自己に光明を見出した経験をしたのでしょうか、とのメッセージを後から読み、この度も二部で今までにない超越体験をさせていただいたことに照らし合わせます。確かに記憶を言葉にすると時間もずれ対象化し表現したその言葉にとらわれていってしまうことに気づき始めています。コンサートでの衝撃的経験をそのまま言葉にしても本来の経験したエネルギーとはまるでかけ離れた状態になってしまうことになります。経験をゆがめて記憶してしまうことはもったいないことであると感じています。一部はただ今日も先生にこの場でお会いでき幸せな気持ちでいっぱいで、ただそれだけで涙がこみ上げました。ですが、生命かけて邪を祓って下さっているお姿に、もっと報える自分でなければこの場にいさせていただくのは畏れ多いと感じました。二部はピアノの音とともに胸の深奥にさらにその奥にさらに奥にと続く六角形の窓のような図形が続き、魂のトンネルを遡っていくような世界とひとつでした。一部はここ近日望んだことを本当にそうなのか空間から問われ、そうではないことを生命で確かめる経験でした。気持ちとは世界の果てまで届いていっているのかと思うと怖いと感じました。人間って本当に頭がおかしいところではたらいているのだと感じます。本音は人間とし生きてける外れることのないあり方なのだとよりわかってきます。受容と要求のお話がビデオ講演会配信録画でもありましたが、自分のことはそっちのけで、本音から逃げるように、話にならない馬鹿なあり方をしていたことにこのたび気づきました。6月29日の渋谷コンサートで「継続の先に実現はある」と聞こえました。日々、地道で小さなことであっても継続していくことが大切でなのだと、日々のやることは努力を惜しまずにやっていくことと、胸に刻みます。二部のアンコールでは胸の奥に神さまが入り込み、おおいなる存在とひとつに号泣しました。アリラン風の演奏は三味線のようにキレがありかっこいい演奏でした。内なる魂は今までにない出会いをさせていただいたと見える光景から感じます。舞台でお辞儀をされる姿に「先生は三鷹の人ですね。」と心で言っていました。光のホールは高句麗の息吹を大地から感じ、この場に身をおけましたこと、本当に良かったです。開催してくださり、心よりありがとうございます。

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