萩の上露
第一部の光源氏。ご登場された先生の紫色のお衣装から「紫の上」を連想しました。そして第一部の終わりには「萩」の花咲く光景が想い浮かばれました。私もうる覚えなので、インターバルの時に検索をしたところ、紫の上が萩の花にのる露の儚さと自分の命を重ねた詩を読む「萩の上露」がありました。光源氏と愛された女性の深い心を体感した第一部であったと振り返ります。第二部のアナウンスにて、「俗にまみれるような『聖』はありません。」とキッパリと表現され、何か目が覚めるような驚きがあり、「神聖なるいのちそのもののはたらきが」あることに子供のころの純粋な感覚に通じると感じられ、「本音」は「聖」の域にあるとも感じられました。「濁り」に尽きるこの身の胸の奥の「聖」を見出し、そこが音の光に照らされるように聴き入りました。あまりに凄まじいエネルギーに、アンコールのときには拍手に力が入りませんでした。そしてその帰りは、何か、人との間が「楽」になっている自分があり、翌日の今朝は、ただ楽しい気持ち「ときめき」ている自分です。曇りのはずが豪雨となり、今は止みましたが、草木に露がのっております。秋の風情にしみじみとなるところですが、元気にコンサートに向けお伝えしたいと臨みます。
ありがとうございます。
田嶋利江子