KEIKO KOMA Webサロン

芋堀り


アントレプレヌールサロンをありがとうございます。先生のお話が耳から音として入ってきていても脳が眠くなって眠くなってしかたない箇所がありました。最近は講座でもコンサートでもカクッといってしまうことは無かったので、聴き洩らしたかもしれない箇所をとても勿体無いと感じてしまいました。実は発言をしたいのに、しなくてもいいやと流していたことがその引き金のひとつとなった気もしています。東北での新型ウイルス騒ぎのこと、これから地元での活動はどのように展開したら良いのか・・・表現しないとどんどん埋もれていってしまうと感じます。

地元での活動は、これまで自分は「世間側」からつながりをつくってきてしまったんだと今回の騒ぎでわかりました。というのは、亡くなる方がウイルスによってよりも自らを破滅に追い込むような行為によっての方が多いとお聞きしても、「どこにそんな人がいるんだろう?」と自分の視界からはハッキリとは見えてこないことにはたと立ち止まったのです。自分が「世間側」にいるので真実が見えないんだとわかったとき周囲の景色が氷点下に変わりました。世間によって潰される人のことを世間側にいたら気付けるはずもない・・・世間的な薄い繋がりはいくら増やしてもそれほどの意味はもたないことを痛感しました。それよりは自分をしっかりと掘り下げてちゃんと生きていくほうがどれだけ大切か・・・。

『金に困らない社会を創ってしまえばいい』というお話は『東北と日本の未来を「語る会」』でもお聞きしたことがありました。当時お金というものがなくなると聞けば単純に「そしたらどうやってお金払うんだろう」と思った自分がいまして、ほんとうにすごい悪い頭だなぁと自分で泣けて笑えてきた記憶があります。公的扶助が差別へつながるお話は、確かにそういった場面を目にしてきました。

先生のお話は納得しながらも「!!?」と、未知との対面でもあるので、そのまま受け止めます。タイトルの「芋堀り」は、28日に外に出たらパッと世界のKEIKO KOMAのお顔が頭に浮かび、スカイロケットセンターの『いだきについて』講演会へ参加させていただくと決めた際に感じた言葉です。さつまいものイメージで自分は地中に埋まっているんですが、弦をひっぱってズルッとさつまいもを引き出していくきっかけを次々といただいていく体感があの日からずっと続いています。

どれか一つを選ぶという状況のときに、自分がどうかということがサッパリわからなくて、人の一番喜ぶものはどれか、としか頭がはたらかず選べない経験をしました。傲慢なことです。

ありがとうございます。

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高麗屋にて
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京都コンサートホール大ホールにて